2018年10月号の文學界に掲載された、平野啓一郎デビュー20周年記念企画「平野啓一郎の世界」。同誌に掲載されたエッセイ・作品論・対談記事を公式サイトでもお届けいたします。
平野啓一郎の小説を論じる力など、私にはない。自分が平野さんと同時代の作家であるという事実は、私に幸せと恐れを感じさせる。現代の多くの作家たちも、例えば村上春樹を意識するのとはまた違った視点や意味において、平野さんへの意識は大きい筈だ。
文芸誌に掲載された「日蝕」を読んだ頃、私はまだ無職のブラブラした状態だった。「日蝕」はその当時の、文芸誌に載っている種類の純文学作品とは、明らかに違っていた。これはいったいなんなのか、果して何事が起ったのだろうという感じだった。何事なのかは私の頭ではよく分らなかったが、何かが起ったことだけは分った。つまり、文芸誌に普段載っている小説を読んで、これが現代の小説だとしたら自分はとても作家にはなれそうにないなと勝手に思っていた私が、ひょっとしたら自分もイケるのではないか、とこれまた極めて勝手に思ってしまったのだ。
勿論、「日蝕」と同じ種類、同じ水準の小説が書けると考えたわけではない。ただ、それまであまり面白いと感じなかった文芸誌にこういう事件が起ったのだから、そこになんらかの変化が生じたのは間違いない、だったら自分のような人間にも小説の世界に潜り込めるチャンスがあるのではないか、と都合よく解釈したに過ぎない。話が逸れるが、作家になるには、何を書きたいか、テーマは何かといったことより、ひょっとすると自分もやれるかもしれない、と勘違いして実際にやってみる、ということの方が大事なのではなかろうか。
で、平野さんが起した変化に乗じた、ことになるのかどうかは知らないが、その数年後、「日蝕」が掲載された文芸誌の新人賞を受け、一応作家と呼ばれるようになり、ほそぼそと生活も出来ている。もし「日蝕」を読んでとんでもない勘違いをしていなかったら、いま頃、生きていられたかどうかさえ怪しい。
そういう命の恩人に、失礼ではあるが不満を一つ。平野さんの小説は、どの作品も隅々まで行き届いて破綻がない。見る者を圧倒し、納得させる巨大な建築物のように。だが端正を打ち壊し、読者の納得を振り切り、破綻をも魅力に変えてゆく平野啓一郎も見てみたい。と、破綻だらけの年上の後輩作家としては、遥かうしろから追いかけながら、そうでも思うより仕方がないのである。
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