2018年10月号の文學界に掲載された、平野啓一郎デビュー20周年記念企画「平野啓一郎の世界」。同誌に掲載されたエッセイ・作品論・対談記事を公式サイトでもお届けいたします。
コギト以来、肉体と魂の二元論が行動や感情や欲望の説明に利用されるようになったが、人は自由意思に従って行動しているつもりでも、無数の外的要因に干渉され、その原因や動機の説明は不可能だ。自分とは諸要素が衝突したり、すれ違ったりする錯綜した空間そのものなのだ。その意味で、空間や時間は人の意識を映す鏡となっている。都市もサイバー空間も経済や政治も全て仮想空間であり、脳が作り出した幻影である。過去とは記憶や記録、未練や後悔のことであり、未来は期待と不安、あるいは祈りでしかない。しかし、それらが想像の産物である以上、どんな空間、時間を作り出すことも許される。実際、私たちが生きている物理世界ではあり得ないことが、宇宙空間では起きている。
バチカンではビッグバン説は認めているが、宇宙の誕生以前を考察する量子力学を認めない。宇宙生成の原因のところに神がいるので、その神がどうやって生まれたかを問うこと自体が冒涜なのである。量子力学は存在しないかもしれない素粒子に関する理論であるが、物質や存在を説明するのに用いられており、まさに非現実が現実を規定しているのである。
物理学や量子力学は空間、時間、物質を扱うが、文学ではもっぱら意識とは何かを考察する。宇宙も生物進化も限りなく偶然に近い必然によって今ある結果に行き着いたが、もっと別の宇宙や進化が可能世界として存在しているかもしれない。それと同じように意識や自己の別の可能態を考えることができる。
『空白を満たしなさい』でいえば、自殺しなかった自分、誰かに殺されたかもしれない自分、あるいは生の方に出戻ってきた「復生者」としての自分という複数の分人を同時に生きることがこれに当てはまる。恋する者はもっと日常的に分人を生きている。相手の意識に映る自分という分人、逆に自分の意識に宿った恋人の分人を再生産し続ける。
家族と精神の崩壊過程を描いた『決壊』で、平野は従来の肉体と魂の二元論の限界を痛感し、『ドーン』で精神崩壊後の意識の再生に本格的に取り組むことにし、分人主義に哲学的な定義を与え、『かたちだけの愛』に至って、生きる知恵や人を愛する術として善用する方法を物理的に考え、『空白を満たしなさい』と新作の『ある男』でより安定したナラティブに昇華したという物語を思い描くことができる。
ドゥルーズが唱えた「分人」はn個の自我を増殖させて、資本主義に対抗する戦略だったが、ネット時代になると、情報資本主義に適応したジャンクな分人現象がいたずらにはびこり、メンヘラ、ネトウヨ、なりすまし、オレオレ詐欺などが大増殖した。一方で「本当の自分」がデータ化され、一括管理されるサイバー・ファシズムが進み、個人の尊厳、ヒューマニズムの軽視、道徳的退廃がまかり通るようになってしまった。だが、平野が真摯に取り組んだ分人主義は現代における人文主義の復興という側面があり、差別とヘイトの教条で凝り固まった「自分教」の対抗軸たりうる。
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