2018年10月号の文學界に掲載された、平野啓一郎デビュー20周年記念企画「平野啓一郎の世界」。同誌に掲載されたエッセイ・作品論・対談記事を公式サイトでもお届けいたします。
平野さんが初めてわが家に遊びに来た時はフランスに長期滞在した直後で、フランスでは全く笑うことのない鬱陶しい日々の連続だったそうで、その反動がわが家で一気に噴き出してしまったらしいのです。
口元でハッハッハッと息を吐くような笑いではなく、肉体をトルネード化しながら宙を遊泳するように上体をのけぞらして怒濤のような肉声を音響に変質した野性の叫びに似た笑いの嘔吐で居間の空気を凍結させ、震動させたのでありますといえばあまりにも誇張した作り話のように思われて、平野さんからクレームがつくことを覚悟で申し上げますが、ここまで笑っていただければ、不思議な好感を平野さんに抱くことができるのです。
おそらく平野さんは自らのイメージをわが家で完全にメタモルフォーゼしてしまわれました。平野さんのことをこの時点ではそれほど知らないぼくにとっては「よく笑う人」というのが彼のイメージであります。初めてアトリエに来た時も、ソファーをはみ出して後頭部を大ガラスにぶっつけて「痛ッ」と叫びながら笑い続けました。
こんな風に平野さんがなってしまったのは彼の本質的な性癖なのか、あるいはぼくの言葉の文法を無視した無秩序な組み合せに失笑を買ってしまう原因があるのか、そこんとこは未だに不明でありますが、平野さんの「分人」論でいえば、相手と自分の両者の影響が相互に混じり合った時に生ずる関係性で自分も気づかなかった分人がでてきて、平野さんが余所では隠蔽されたまま本人も気づかない未知の分人によって、あんな風になってしまわれたとすれば、ぼくにも平野式分人論に似た、ぼくの場合はグルジエフから得た霊感によって複数化した「小さい私」の存在と同居しているのですが平野さんのように、相手によって分化する複数の自我があるんじゃなくて、ここんところは平野さんと違って、ぼくの場合は自我というか本性が1個あって、管制塔の役割を果していて、常に小さい私を監視しているんです。そんな本性は魂とも直結しているってわけで、死んだら小さい私は消滅してしまうけれど本性(霊性ともいえる)は魂と合体して霊的世界を生きるんです。
まあ、いずれにしても平野さんがぼくの前だけに出現させた笑いの分人に対して、ぼくの小さい私のひとりが平野さんの分人のひとりと波長を同調させたらしいのです。平野さんがぼくと話していて「面白かった」と思えた話を他の人にしても誰もウンともスンとも反応がなかったのは当然といえば当然です。相手には相手の分人術という技術がなかったのか、大きい私が1個だけの自我で生きている人だったりしたのかも知れませんね。
今度会う時はまたお互いに別の分人と別の小さい私によって新たな人間関係を創造しましょう。だって無数に分人とチビの私がいるんですから。なんでもありです。平野さんとは時々、電話で話すことがありますが、平野さんも僕も決して電話魔ではないのですが、平野さんと話し出すとなぜか電話魔になって、一時間はアッという間に過ぎて二時間なんてザラの時があります。二人共時間を止める術があるらしく、時間は決して縦に流れているのではなく、静止した時間がただただ反復しているだけで、原始時代の時間、或いはSFチックな未来時間を創造していくらしいのです。ところで話の内容は?
そんなものは話す尻から煙のように消えてしまい、巨大な無為な洞穴のような時間が残るだけです。確か近い内に会う約束をしていましたね。続きはその時。
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