2018年10月号の文學界に掲載された、平野啓一郎デビュー20周年記念企画「平野啓一郎の世界」。同誌に掲載されたエッセイ・作品論・対談記事を公式サイトでもお届けいたします。
良く学び、良く知り、つまり知識が豊富で頭脳明晰、社会の中枢として日本をリード出来る人間が、小説を書かなくなったのはなぜだろう。
文学は中枢に近づかない、というより中枢を嫌い、周縁に居て中枢を批判的に見る、あるいは背をむける、というのが文学的なスタンスになって久しい。
本をただせば西行や芭蕉のように、権力から遠のくことで日本の美を発見したことに辿り着くのだろうか。けれど彼らは紛れもなく知識人だったのだ。
あるいは近い歴史で考えれば、団塊世代の反権力の立ち位置が尾を引いているのだろうか。そういえば私が住み、平野啓一郎が育った九州の文学土壌には、筑豊や水俣などから発する反権力の狼煙があった。私は書き始めた当初から、地方に住むこと、女性であること、敗戦国の国民であることに全く劣等意識を持たなかったばかりか、それをアドバンテッジにさえ感じていたので、居心地が悪かったのを思い出す。
あまり精査したことが無いけれど、このところ新人の作品から知識や教養の要素がどんどん少なくなってきている。社会の周縁からの弱者の視線、あるいは閉塞的だがそれゆえ生まれた特異な感性が、力を持つようになった。このことは、社会の支配的な構成員としての歴史を持たない女性の台頭とも重なっているようだ。主観的にはともかく、客観的には私もその中に含まれている。
ひと言で言えば、知識人、教養人が小説を書かなくなったということ。文学が知識や教養を嫌っているということ。
漱石や鴎外、もっと時代が下って柴田翔は、知識人として苦悩した。けれど今、知識人は苦悩しないのか。そんなはずはない。苦悩の表現が文学世界に受け入れられないのが解っているから、頭の良い人間は書かないのだろう。いやそれを言うなら、今の日本のどこに知識人や教養人がいるのか。
前置きが長くなった。ここに書いた私の嘆きを払拭してくれる作家が平野啓一郎だと言いたかったのだ。
デビュー作「日蝕」の難解な美文は衝撃的だった。擬古的で知識をひけらかしているとの批判も続出したが、それが出来る新人がその後登場しただろうか。絵画や音楽への教養と感性が生み出す平野啓一郎のドラマは、文学を辺境の地から広く高い場所に引きもどしているのは間違いない。
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