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平野における普遍性(エリック・ファーユ)

 2018年10月号の文學界に掲載された、平野啓一郎デビュー20周年記念企画「平野啓一郎の世界」。同誌に掲載されたエッセイ・作品論・対談記事を公式サイトでもお届けいたします。

日本文学を愛する者として、それまでフランス語に訳された平野啓一郎の小説を読んで、比類なき喜びを覚えてきた。多彩な分野での彼の卓抜した能力に驚いた。とりわけ「最後の変身」には強い印象を覚えた。その印象について考えてみると、この作品と最新訳の『空白を満たしなさい』との間にある種の親近性がわかる。それは現実を理解する方法においてである。

まず、使われている装置は同じ雰囲気をもってはいないのだが、この二つの小説は現実と距離を取っている。そうやって逆説的に現実というものをよりよく探究するのだ。「最後の変身」で平野氏は、カフカと彼が創造したグレゴール・ザムザへと迂回することによって現実から離れるのだ。一方で『空白を満たしなさい』では「幻想」というものを使う。これら二つの小説の場合、そういう様子を見せないで、現在の日本の社会について語るのが目的だ。前者では、「引きこもり」がテーマであり、後者では「労働の世界」であり競争社会、死の禁忌、そして近親者が自殺した複数の家族の運命である。

平野氏はたしかに日本について語る、しかし、ただそれだけではない。もしフランスの読者がこれらの作品を読んでみたら、異国趣味とは無関係に、日本への興味からでもなく、これらのページで作者は人間の世界の普遍的な何かに触れていると分かる。東京であろうとパリであろうと、まったく同じというわけでもないが、非常に類似した問題群に触れているのだ。

平野氏の方法について語ろうか。私は作家としてまた読者としても親近感を覚える。『空白を満たしなさい』のページには当然であるかのように、幻想性が刻印されている。「電気のショート」が現実の中で発生している。不意打ちしないように控えめに、読者にとって実はもっとも驚嘆すべきものとして、自殺者の蘇生が起きる。生きている者の目にあたかも当たり前のことのように。幻想が現実を損なわないように重ね合わされているのだ。

それが、私たちの世界をスキャンし、世界を斜めから見ることを可能にしている。そして幻想という方法を使うだけでなく、平野氏は推理小説の手法と結びつけている。それが語りをより効果的にしているのだ。ミルチャ・エリアーデの「ダヤン」という小説のことを私は少し思い出した。

私は数々の幻想小説を書いてきた。しかし私は平野氏がこの作品で成し遂げたように、数百ページにも幻想を持ち込むのを可能にするようなプロットを見つけることには成功していない。だからこそ、私はこの作品を書く困難さがよくわかるのである。ひとつの作品を多様に展開させることに成功している。

そして似たような小説を書かないという強みをこの作家は備えているのがわかる。似たような小説を書くことをよくやってしまう作家もいるのだが。

彼はスタイルを変化させ、自らを更新する。歴史の想起を『日蝕』で成し遂げたかと思うと、『一月物語』で哲学的な小説をものにし、「最後の変身」で社会的寓話を書き、そして、『空白を満たしなさい』で幻想を描いた。この作家は自ら飽きることなく表現し、読者にも同じ喜びを与えるのだ。 (編集部訳)

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