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複数人格者の孤独ーー『ある男』論(諏訪哲史)

2018年10月号の文學界に掲載された、平野啓一郎デビュー20周年記念企画「平野啓一郎の世界」。同誌に掲載されたエッセイ・作品論・対談記事を公式サイトでもお届けいたします。

ヒッチコックの映画『サイコ』でアンソニー・パーキンスが怪演したモーテルの管理人の青年は、その病的な精神のうちに、彼と、彼の母との、二人の人格を棲み分けて生きていた。複数の生を、人格を、たった一人で生きる。これはおそろしい孤独である。

こうした孤独はしかし、われわれ現代人のわずらう宿命的な自己客体化の病、その分裂した精神構造のなかに、多かれ少なかれ潜んでいる。それを「戸籍売買」、つまり「IDの上書き・重層化」という巧妙きわまる寓意的なギミックをもちいて具現化した物語が、すなわち平野啓一郎の『ある男』である。

孤独者は、自己という昏い洞内で独り、彼自身と対話している。この自意識における個我の分裂、複数化の呪いを、近代以降、つまりはデカルトによるコギトの論及以降、人は何世紀にもわたって考えつづけてきた。

自我、ペルソナとは貌であり己のIDである。三島由紀夫はそれを「仮面」と呼んだが、この現代においては仮面でない唯一かつ真実のペルソナなど誰も持ち合わせていない。幾重にも堆積したペルソナの「古層」を蔵する者こそが現代ではより人間的・文学的である。

真実のペルソナはいずれか? マイナンバーは何番か? そんな杓子定規の戸籍係のごとき言を弄する自称正直者、彼はいったいいつの時代の人間であろう。真の自我を失くしてしまって久しい「正体不明性それじたいを生きる哀しき虚言者たち」こそ、われわれ現代人の真実であり正体ではないか。虚言こそ生々しい表白なのである。『ある男』に出てくるあの影のような、幾重にも贋のIDをかぶった多くの男たち、彼らの凄絶にすぎる社会的「擬態」、分厚な嘘の重層化こそが、われわれの真実の生そのものではないか。

われわれはたった一人で、なお多層的な複数者でありうる。従って現代人どうしの対話は多声対多声という不可避のポリフォニーを奏でざるをえない。平野はこれをギリシャ神話のナルキッソスとエコーの、反映/反響のアナロジーで語らんと腐心する。また終盤、「蛻にいかに響くか蝉の声」という俳句を提示しつつ、やはり複数のペルソナどうしがいかに一個人の洞のうちで余人の理解の及ばぬ孤独な対話をなしうるか、そこに読者が思いを致すべく、慎重に導線を引いている。

付記したいのは、これが「愛」をめぐる小説であるということだ。女には一人の男のなかの誰を愛したかこそ朧げながら、愛した記憶だけは切に生々しい、そういう愛の痕跡が殷々と響きわたるような小説なのである。

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