7月21日、金曜日の夜のこと。東京・三宿にあるアートギャラリー&カフェSUNDAYは、いつになくにぎわいを見せていました。三々五々集まってきたのは、「平野啓一郎と読み解く」と題した読書会の参加者です。
本好きが自主的に集まって開く読書会は、このところ静かなブーム。あちらこちらで開催されているようですが、作家みずからも参加して、ともに語り合うかたちのものは珍しい。平野啓一郎さんにとっても、初めての経験となります。
作家と読み解くのは、さてどんな作品だったのでしょうか。お題は平野さんが考案しました。課題図書として指定されたのは、森鴎外の『文づかい』です。
あまり聞き馴染みのない作品。森鴎外といえば、『舞姫』くらいは教科書で読んだことあるけれど……、という人が多いのでは。
でもこの作品、『舞姫』『うたかたの記』とともに、森鴎外のドイツ三部作とされており、文学史的には名作として名高いもの。ずっと昔の明治時代に書かれたものではありますが、いまも読むに値する作品であると平野さんは言います。
開幕の時間を迎えて、40人ほどの参加者の前に、平野さんが登場しました。ご挨拶をしたあとの第一声は、
「『文づかい』、読んでこられました? まあ、読みづらいですよね。文語体ですしね」というもの。
参加したみなさんに、笑いと安堵の表情が広がります。そう、本にすれば20ページほどの短編とはいえ、正直なところかなり読みにくく、意味もとりづらいのです。だれもがなんとなく感じていたことを、平野さんからずばりと言ってもらえて、ちょっと気が楽になりました。
平野さんによる簡単な説明のあと、さっそく『文づかい』をめぐる話し合いが始まります。4人から6人でテーブルを囲み、軽食と飲みものを楽しみながら、意見を交換していきます。ほとんど「はじめまして」の人ばかりですが、『文づかい』をどう読んだか? という共通の話題がありますし、お互い平野啓一郎ファンでもあるので、どのテーブルもすぐに盛り上がりを見せます。
「この作品に結局、恋愛は存在したんでしょうかね?」
「男女の仲って、やっぱりわからないものですよね」
「明治という時代状況を考えれば、彼の行動はやむを得ないのでは?」
などなど、意見が活発に飛び交います。
『文づかい』は、ドイツに洋行した小林大尉が、ザクセンでの体験を語る体裁をとります。伯爵の娘イイダ姫と近づきになり、手紙の受け渡し役を頼まれるようになった小林が、姫に揺さぶられたかすかな感情を思い起こしていきます。
読むのは少したいへんですが、恋愛や異国での体験、時代のことなど、論じたいポイントはたくさん含まれる作品です。
しばらく話し合いが進んだのち、各テーブルを平野さんが回り、話にくわわることとなりました。
参加者が自由に投げかける質問や疑問点に、平野さんは丁寧に答え、自説を展開していきます。
「小林という人は、僕の読み方では、イイダ姫にかなりあこがれを持っていたと思いますよ。それは、イイダ姫に対する手の描写によく現れているんです。よく読むと、彼女の手の描写は作中に3回出てきます。気づきました?」
または、
「『文づかい』も含めた三部作を通して、鴎外は自分のヨーロッパ体験を書きたかったんじゃないですか? ヨーロッパで感じた階級社会の厚い壁が、作品に反映されていますね」
など、若いころから森鴎外を読み込んできたという平野さんならではの「読み」に、一同は感嘆しきり。
ひと通り話が出尽くしたころ、会はお開きに。最後にみなの前で話をする平野さんは、
「近代的自我の確立がうたわれた明治時代にあって、でも本当に人間の自由意志はいろんなことに通用するのか。個人の意志ではどうにもならないことはたくさんあって、結局は運命的な生き方をせざるを得ないんじゃないかという思いが、森鴎外にあったのかもしれません。そのあたりを考えるために、恋愛感情に着目して作品を書いたとも考えられます」とも。視野を広く持って読むと、本はなお楽しいことを、平野さんは直接教えてくれました。
帰り際に参加した方々に感想を伺うと、
「テーブルに回ってきたとき、ちゃんとこちらの話を聞いて、それに対する答えを話してくださった平野さんに感謝です。作家と直接意見を交換できるなんて、こんな貴重な経験はほかにない!」
「今度は平野さんの『マチネの終わりに』か、これから書かれる新作で読書会してみたいです」
など、みなさんかなりテンションが上がったご様子。
ひとつの作品をゆっくり読み、語り、みなで文学の美しさを感じる。そんな他ではなかなか味わえない体験を胸に、参加者のみなさんは家路へと着いたのでした。
こうした機会をたくさん持てたら、文学の楽しみ方はもっと広がっていきそう。次回の開催をぜひ楽しみにしてください。
(スタッフ)