『マチネの終わりに』英訳 "At the End of the Matinee"の 4月の刊行に合わせて、3本のショートムービーを公開しました。
同作の創作背景から、自身が小説を書き続ける動機、「過去」との向き合い方というテーマまで。小説を執筆する中で平野啓一郎が考えてきたことを語っています。
まだ前の記事をお読みになっていない方は以下からご覧ください。
1.「愛」をテーマにした小説の執筆
2. 小説家としての演出・文体への工夫
未来は常に過去を変える
現代の小説家として、常に現代社会というものに関心を持ちながら小説を書いていますが、現在を理解しようと思うと、どうしてもやはり、「過去の経緯を踏まえて現在を理解する」という考え方の手順になると思うんです。
僕自身は、小説家としては1990年代の末にデビューしましたから、冷戦構造が終わって、世界がいよいよ混迷の時代になって、日本もバブル経済が崩壊して、戦後ずっと続いてきた経済成長というのが止まってしまって、これからどうなるかわからないという状況の中で小説を書き始めました。とにかく自分が今いる場所をどういうふうに捉えるかという時に、ヨーロッパの近代から、日本の現在に至るまでというのを、文学史的に一度たどるという作業を行いました。ですから、僕の初期の作品は、15世紀のフランスだったり、あるいは19世紀のフランスだったり、あるいは19世紀末の日本だったりというふうに、近代にいたるまでの歴史のプロセスを辿りながら現在を考えていこうという仕事をしていました。そうしますと、「なるほど、過去にこういうことがあったから、現在はこうなっているんだ」納得できるところがあるわけです。
ところが、この考え方をずっと詰めていくと、現状というのがすべて過去からの必然性によって成り立っているように思えてきて、「じゃあどうするのか」と未来に進もうとした時に、いつもそれが障害になってしまうんです。例えば、新しいアイデアがあって、こういう風にしたら良いんじゃないかということを提案する。そうすると「いやそれは、こういう経緯があってこうなっているから、簡単には変えられないことなんだ」とアイデアが打ち消されてしまう。これは特に、日本社会に典型的にあった状況で、過去に対する理解が深まれば深まるほど、現状肯定的になってしまうという問題を抱えていました。
それから、個人の歴史においても、一種、通俗的に理解されていたトラウマ説のようなものが社会に広まっていた。「幼少期にこういうトラウマ体験があるから、今の自分はこうなんだ」と納得する。それはひとつの納得の仕方かもしれないけれど、「今の自分がこうなのは、過去にこういうことがあったから」というような、際限もない堂々巡りの中で、過去と現在の因果関係にがんじがらめにされてしまって、なかなか次のステップに進めないというような状況にある人たちも見てきました。
一方で、本当は未来がどうなってほしいか、どうなるべきかというところから考えて、今現在の行動を考えなければいけないという視点もあるはずなんです。それは、過去がこうだったから今がこうなんだという視点とはまた違う。未来がこうあるべきだから現在はこうあるべきだということを考えられる視点です。これは最も今顕著に重要なのは、気候変動の問題においてだと思います。過去どういう経緯で、今に至っているかという理屈は、無限に説明できるでしょう。しかし、未来に訪れることを考えるならば、今現在はこういうことをしなければいけないというように僕たちは考えるわけです。
そのようにして、「過去・現在・未来」という時間軸の中で現在というのを考えようとしてきたわけですが、そのようにして過去を考えているときに、もう一つ思うに至ったことがあります。実は過去というのは、僕たちが思っているほど安定的ではないということです。
例えば歴史というのは、常に新しい、最新の研究によって、僕たちが10代のころに学んできたことからは随分と変わってしまった歴史的事実があります。記述された、語られた過去というのは必ずしも安定的なものではない。また、むしろそこに付け込んで、歴史修正主義というのは、過去にあった出来事を、自分たちのいいような形で改ざんしていこうとする。いずれにせよ、過去というのは非常に壊れやすい、もろいものなのです。
あるいは個人的な体験にしても、「過去にこういうことがあったから、自分こうなんだ」と信じていたとしても、あるとき、その出来事を知っている全く別の人から、「実はあの時、こういうことがあったんだよ」という新たな情報を聞かされると、全くその過去の見え方が自分の中で変わってくる。あるいは、子どもの時にどうしても納得できなかったことが、年齢と共に、自分が段々大人になってくると、その時の両親の態度というものが少し違った視点から見えてきて、「あれはこうだったんじゃないか」というように、自分の過去自体が変わってくるという経験は、多くの方がされているんじゃないかと思います。
つまり、ぼくたちは「過去は変えられないものだ」という固定観念にとらわれていますが、実は未来の出来事が、常に過去を変化させ続けている。これは必ずしも良いことばかりではなくて、善悪両面あると思います。先ほど言った歴史修正主義のようなものもありますけれども、一方でやはり、非常に大きな出来事によって傷ついてしまった人にとっては、現在から未来にかけて起こることが、過去をも変える可能性があるんだと信じることは、一つの希望ではないかと思ったんです。
僕は、ヨーロッパの音楽、クラシック音楽が非常に好きです。やはりフーガのような形式の音楽を聴いていると、次々楽曲が展開されていくことが最初の主題、最初に聴いたはずの音楽を少しずつ変えていくということに面白みがあります。音楽を主題としたこの作品と、未来が過去を変えていくという主題が、そこにおいて非常に深く結びついているのではないかという風に考えました。
非常に複雑な問題がいろいろ絡み合った小説ではありますが、「未来が過去を変える」というのは、小説全編を貫く一つの大きなテーマです。実際にこの小説を読んでくれた読者の方たちも、そこのところに特に、心を動かされたという人が多かったようです。それは、小説の感想としては非常にうれしいものでした。
物語は、クラシックギタリストの蒔野と、海外の通信社に勤務する洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた二人。しかし、洋子には婚約者がいました。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの愛を断ち切れぬまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのか。
中心的なテーマは恋愛ではあるものの、様々なテーマが複雑に絡み合い、蒔野と洋子を取り巻く出来事と、答えのでない問いに、連載時の読者は翻弄されっぱなし。 "「ページをめくりたいけどめくりたくない、ずっとその世界に浸りきっていたい」小説"を考えてきた平野啓一郎が贈る、至高の恋愛小説です。