※この記事は、2016年6月に「cakes」に掲載された記事を転載したものです。
2016年6月27日、当時『マチネの終わりに』を連載中だった平野啓一郎と、ミュージシャンの大江千里さんが青山ブックセンターで対談を行いました。「40代をどう生きるか?」という主題を作品に込めた平野啓一郎と、シンガーソングライターでありながら47歳で単身渡米し、ジャズピアニストを目指した大江さん。二人のクリエイターにとって、「40代」とは?
大江千里(以下、大江):みなさん、こんにちは。大江千里です。
平野啓一郎(以下、平野):平野啓一郎です。
大江:僕が平野さんと初めて会ったのは、『日蝕』で芥川賞を受賞されて、NHKの「トップランナー」に出演された時ですね。僕、番組の司会をやってたので。
平野:その時の写真、まだ持ってます(笑)。
大江:本当ですか!(笑) あれからもう何年くらいですかね。
平野:15年くらいだと思います。……大江さん、北九州市にいらっしゃったことがありましたよね?
大江:よくご存知ですね!
平野:北九州市出身なんですよ、僕。
大江:僕は北九州市の小倉北区にいました。父が新聞社に勤めていて、2年間だけ大阪から福岡に転勤していたんです。
平野:北九州市って荒くれ者の集まりですからね(笑)。大江さんがデビューされた時、「何でこんなきれいな音楽を作る人が、北九州から出てきたんだ!?」と驚きました。
大江:小倉北区にいた2年間は僕にとっていわば青春の入り口で、初恋の女の子が乗ったバスを徒歩で追いかけたりしていました(笑)。
平野:いい思い出とともに引っ越されてよかったです(笑)。
ゼロから小説を書き始めることはあまりない
大江:『マチネの終わりに』を読んだのですが、やっぱり胸にぐうっと迫るものがありました。僕が今ニューヨークで生活していることもあって、特にニューヨークの描写が、ホールの席や舞台から見た感じとか、ひとつひとつ刺さりましたね。よく知っているところなので。
平野:ありがとうございます。
大江:テロやサブプライムローンなど色々な世相も描かれているんですが、いったいどれくらいの期間で書けるものなんですか?
平野:だいたい、僕、ゼロから小説を書き始めることはあんまりないですね。何年間か関心を持っている分野について、ある時「あ、じゃあアレについて書いてみようかな」と思い立ってから具体的にリサーチし始めるので、書き始める前の期間が長いんですよ。『マチネの終わりに』の具体的な準備期間に関していうと、一年ぐらいかかってます。
大江:そういう時、「早く書き始めないと不安……」なんてことにはならないんですか?
平野:そうですね。ある程度素材のリサーチが熟してから書き始めないと、途中で「この問題の核心は別のところにあったんだ」と分かってくることがあるんです。そうなってから軌道修正するのは大変なので、調べているうちに「書きたい」という気持ちが湧いてきても、ぐっと抑えて、素材が熟すまで待ちます。
大江:なるほど。
平野:あと、『マチネの終わりに』ではバグダッドのシーンがありますが、あれは実際にバグダッドにいる人とずっとメールをしていて、現地の情報を教えてもらってました。ネットでそういうことができる時代になったんですよね。
大江:ネット上でやりとりをしたんですか?
平野:ええ。メールで「街の様子を描写してください」とかお願いするんです(笑)。こういうことができる時代になったというのは、15年の中で大きな変化です。
取材現場に行かなくても、ストリートビューでチェックできる
大江:たしかにいまの時代って、行ったこともないのに、住所をグーグルマップで調べて「こんなところに住んでるんだ!」と思ったりすることがあります。面白いですよね。
平野:NASAの登場する『ドーン』という小説を執筆した時、テキサス州ヒューストン郊外にあるジョンソン宇宙センターまで取材に行ったんです。主人公がその近所に住んでいる設定だったので、編集者と一緒に、人っ子一人いない住宅街をうろうろしながら写真を撮っていたんですが……。
大江:ええ。
平野:そうこうしているうちに「ぼくら、マズいんじゃないか」と思いはじめたんですよ。住宅街を男二人でうろうろするのが不審すぎて(笑)。「あいつら、何してるんだろう?」っていう目で見てくる人もいるし。
大江:盗撮チックだったんですね(笑)。
平野:パッと撮影をやめて、モーテルに帰ってからグーグルのストリートビューで、途中までしか行けなかった住宅街の先の様子をチェックしてたら、今しがた撮影してきたのと全く同じ風景が映るんですよね。「俺、ヒューストンまではるばる取材に来たのに、なんで近所をストリートビューで見てるんだろ」と思っちゃって……。
大江:平野さんは、フランスにも行かれてましたよね。
平野:僕がフランスに留学していたのは2004年からの1年間だったんですが、ちょうどサルコジが大統領になる前の年で、テレビをつけると「ニコラ・サルコジがどうした」っていうニュースばかりだったんです。人としゃべってても「サルコジが大統領になるか、ならないか」という話でもちきりで。
大江:サルコジの話は物語中にもありましたね。
平野:フランスはイラク戦争に参加しなかったことで英雄視されていたんです。でも、僕が帰国したあとにサルコジが大統領に就任し、アメリカ的なグローバル化に大分傾いていきました。社会問題も顕在化しましたしね。2000年以降の中ではいい時期に行かせてもらったと思います。
大江:グローバル化するにつれて、世界全体が悲鳴を上げている気がしますね。ちなみに、フランスにいた頃はどういう生活をされてたんですか?
平野:僕は文化庁の文化交流使という、滞在型の活動プログラムで行ったんです。
大江:じゃあ、結果を出さなくちゃいけないんじゃないですか?
平野:そうなんですけど、当時の文化庁長官である河合隼雄氏のあらゆる体験が、クリエイティヴな刺激になる、といった思想のもとに作られた制度だったので、かなり大らかだったんですよ。いや、ちゃんと毎月報告はしてましたよ(笑)。でも、僕にとっては本当に有意義な1年間でした。
(構成:小泉ちはる 写真:麦田ひかる)