当時『マチネの終わりに』を連載中だった平野啓一郎と、ミュージシャンの大江千里さんによる対談後編。大江さんのアメリカ留学の話から、クリエイターの直面する「40代問題」まで、話は尽きません。
大江千里(以下、大江):僕は47歳で音大に通い始めたんですが、次から次へと課題をこなさなきゃいけないし、若干老眼も始まってきて、とにかくキツかったんです。それで、「20歳の子と張り合っていてもしょうがない」と思い直して、1年間で取得する目標の単位を17単位から12単位くらいに減らして、ゆるゆるやるようにしたんですよ。
平野啓一郎(以下、平野):同級生はどれくらい取得してたんですか?
大江:17単位くらいですね。ヨーロッパから留学してる若い友人なんかは、月謝が高いから「たくさん学んでとっとと切り上げる」作戦にするんですよね。でも、僕はおじちゃんだし(笑)、おじちゃんのペースでいこうかなと。
平野:音大の先生は、大江さんのルーツを踏まえて指導をされるんですか?
大江:直接教えてくれる先生は、僕の経歴を知らないですね。ただ、ある日、友人のドラマーが突然走り寄ってきて、「千里、君ってもしかして、日本で有名なの?」と尋ねてきたんです。「いや」と答えると、「でも、野球場でコンサートをしたんだろ? 俺を雇ってくれよ!」と(笑)。
平野:それまでは、「どうしてジャズを始めたか」とか、友人同士で話さなかったんですか?
大江:ピアニストの先生のクラスで、生徒それぞれの生い立ちを話すことになったんです。その時に、「ジャズをやりたくて、仕事をやめて渡米してきた」と話したら、口々に「勇気がある!」と言われたんです。音楽の分野においては、年齢ってある種の希望なんですよね。
見よう見まねでつくり続ける
平野:いつごろからジャズに興味が?
大江:僕は3つの時からクラシックピアノを習っていたんですが、ソナチネやソナタの練習が終わったあとに作曲もやっていたんですよ。ピアノの先生から「スイカ」とか「あじさい」とかの、テーマをもらって。
平野:なるほど。
大江:その後、曲に歌詞をつけて歌うようになって……。ピアノのレッスンに行った帰りに、古レコード屋に寄って、安いジャズのアルバムをジャケ買いしてたんです。それが14歳のころですね。
平野:じゃあ、そのころからジャズは好きだったと……。
大江:はい。サラ・ボーンやアントニオ・カルロス・ジョビンが入り口でした。
平野:作曲は、専門的に習ってたわけではないんですか?
大江:見よう見まねですね。好きなシンガーの曲を聴いて、それに合わせたコード進行で、メロディーを変えてみたりとか……。小説はどうですか?
平野:小説も基本的には我流ですよね(笑)。音楽には勉強しなくてはならない理論があると思うんですけど、小説についてはコード進行のようなものがないので、それこそ見よう見まねというか……。
誰もが抱える「40代問題」
平野:『マチネの終わり』では、中年に差しかかった時期に直面する「40 代問題」に触れています。
大江:主人公の天才ギタリスト・蒔野は38歳ですよね。
平野:はい、アラフォー世代ですね。そういう設定にした理由は、自分自身が40歳になるというのももちろんあったんですが、文学者やアーティストを見ていると40歳前後で停滞したり、チャレンジングなことに取り組んだりしている人が多いなと気がついたことがあって。
大江:平野さんはどうなんですか?
平野:僕自身も、20、30代のころはやりたいこと、やらなきゃいけないことがはっきりしていて、それに向かって邁進していました。ただ、デビュー当初に「やりたいな」と思っていたことを30歳くらいにやりきってしまっていて……。「もうちょっと作家としては上を目指したい」と考えた時、先に見えている風景が漠然としていることに気づいたんです。
大江:何歳くらいのころですか?
平野:37ですね。なんだかみんなが「アラフォー」って呼び出して、否応なく意識させられて(笑)。実は、戦後に近代文学が始まってしばらく、20年以上活動した作家はあんまりいなかったんです。
大江:え!?
平野:早逝したとか、長生きはしたけど途中で筆を折ったとか理由はさまざまなんですが、漱石も鴎外も芥川も20年以上は活動していない。だから、20年よりも先にある、小説家としての未来って、割と最近になってからの話なんです。今は作家ももっと長生きだし、色んな人の実例を参考に出来ますが。……そこでふと、ミュージシャンも40歳くらいになると迷うのかな、と思ったんです。
大江:僕に関していえば、最初「大江千里」として作ろうと思っていた世界観は、やっぱり17歳から25歳くらいまでの感情にフォーカスしているんですよ。「皺が増えた〜♪」とか「親権が〜♪」なんて歌詞は、ラブソングにそぐわないわけじゃないですか(笑)。
平野:それはそれで斬新だと思いますが(笑)。
「書きたいもの」ではなく、「読みたいもの」を書いた
大江:僕、『マチネの終わり』を、この対談イベントの日の朝に読み終わったんです。これ、泣きました。
平野:ありがとうございます。僕はいつも、デビューしたころに大江健三郎さんから人づてに「30代までは、自分の書きたいもの以外を一切書いてはいけない。それができれば、以降は小説家として身を立てていけるから」というメッセージをいただいたんです。だからそれに従って、書きたいものしか書かないようにしてきたんです。
大江:文壇の大江さんですね。
平野:今回も基本的にはそうなんですが、それにプラスして、自分の「読みたいもの」を書こうと思いました。いまの世の中って殺伐としているじゃないですか。それなのに、手に取った小説が現実の延長線上にあると、読むのもですが、書くのだって辛いんですよ。だから、もっと美的な世界に浸りたくて。
大江:ヒロインの洋子はユーゴスラヴィア人の映画監督を父に、長崎で被曝した母を持つなど、複雑な生い立ちの女性です。一方、蒔野はギタリストとしてエリート街道を進んできた男。二人の一見不協和音のような出逢いがハーモニーに変わっていくのが印象的で、ジェットコースターのように読み終えました。
平野:今回はストーリーを単純にしようと思ったんです。ある意味、メロディラインをキャッチーにして、その分ハーモニーに凝りました。
大江:それこそ、ジャズのようですね。
平野:ありがとうございます。大江さんにそう言っていただけて、とても嬉しいです。今日は、ありがとうございました。
(構成:小泉ちはる 写真:麦田ひかる)