「新潮」創刊1400号記念特大号に掲載された平野啓一郎の短篇小説の『ストレス・リレー』が、11月26日(金)放送の「京都スペシャル」(NHK京都)でミニドラマ化されました。(番組HP)
放送当日、京都放送局でパブリックビューイング&トークイベントが開催され、平野啓一郎もリモートで出演しました。そのイベントのダイジェスト版をお届けします。
また、ミニドラマ『ストレス・リレー』はBS1で【12月10日(金) ※9日深夜 午前0時10分~】全国放送されます。
NHKプラスでも配信中ですので、こちらからご覧ください。(※12月10日に配信終了)
そして平野啓一郎公式サイトでは、短篇『ストレス・リレー』全文を特別公開しております。ぜひ原作も合わせてお楽しみください!
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【「ストレス・リレー」の着想と問題意識】
平野啓一郎(以下:平野):「ストレス・リレー」という言葉は、2011年頃に思いついたのですが、当時はTwitterにつぶやいただけでした。でも、いつか、このアイデアで短編小説を書きたいなと思っていました。その後、新型コロナウィルスが流行して、ウイルスが人から人へ移っていくことを意識するようになり、「ストレス・リレー」のアイデアを小説にしたら面白いのではないかと思い、今回の作品を書きました。
僕たちは、自分に対してすごく攻撃的な態度を取られたり、嫌なことを言われたりすると、まず自分が何か悪いことをしたのかなと考えてしまいます。だけど、実際は自分と全然関係ないところで不愉快な思いをした相手が、たまたま会っていた自分に対して、ひどい言い方をしてしまっているということもあると思うんですよね。
ソーシャルメディアでも同じで、何でもないことをつぶやいたつもりでも、すごく怒ってくる人もいます。自分が何かそんなひどいことを言ってしまったのかと反省モードになってしまうのですが、怒ってきた人が別のことでイライラしていた可能性もあります。
そんなふうに、ストレスも社会の中で人から人へぐるぐる回っている。もちろん自分が原因になる事もありますが、たまたまどこかで機嫌の悪くなるようなことがあったんじゃないかと思えれば、少し、気が楽になるのではないかと思いました。
また、この作品は、小説家としての問題意識も影響しています。小説の中の登場人物の感情の起伏は、小説の中の誰かとのやりとりで、嬉しくなったり悲しくなったり、頭にきたりします。小説に登場していない人物のせいで機嫌が悪くなっているとなると、小説としては混乱してしまう。だからあくまで小説は、登場人物のやりとりを通じて感情が動いていくように書かれています。
ですが、本当はそうではないのではないかということを、小説を書きながら思っていたんですよね。待ち合わせの途中の電車の中で何か頭にくることがあって、イライラしながら来た登場人物が、約束していた人と喋るときに普段よりトゲのある口調になってしまうこともあるはずじゃないかと考えていました。
それで、何かそういう現実をうまく書く形式はないかと考えて、小さな物語をリレー形式にして、ストレスが人々の間を潜り抜けていく様を描きました。
ストレスがリレーすることは日常の些細なことの中でもありますし、コミュニケーションが苦手だったり、ストレスに過敏な人もいます。そうした現実を物語にすると、「この人はどこかで嫌なことがあったのかな」と、日常の中で思いやすくなるのではないでしょうか。今回のドラマではそれが上手く表現されていたので、原作者としてとても嬉しかったです。
【どうしたら、ストレスのリレーを止められるのか?】
── 今回のミニドラマでは、ストレスの連鎖を止めるために必要なのが「こころの換気」であると表現されています。小説の中では、中国人留学生のルーシーがストレス・リレーを止めました。彼女はどうしてリレーを止めることができたのでしょう。また、こころの換気にはどんな方法があると思われますか?
平野:僕は「分人」という概念を使って人間を説明しています。「分人」とは、一人の人間がどこにいても一つの個性しかないのではなく、対人関係ごと、環境ごとにいろいろな自分になっていく。その方が自然であるという考え方です。職場での自分、友達と居る時の自分、恋人と一緒の時の自分は、喋り方や表情も自然と変わっていきます。いろいろな自分を生きることで、人間はバランスを取っているのだと思います。
仕事で嫌なことがあっても、楽しい気持ちになれる「分人」をどこかに確保しておけば、そちらでストレスを発散できることもあります。心地よい自分でいられる人間関係や場所をいくつか持っておくことも、ストレス・リレーを止める一つの方法です。
せっかく心地よい自分でいられる相手にストレスをぶつけてしまうと、心地よい自分を生きられなくなってしまいます。楽しい人と居る時は楽しくなるように努めることも必要で、そうすれば、だんだんストレスを忘れて心地よくなっていくのではないかと思います。
コロナ禍のステイホームでは、仕事関係の自分と、家庭での自分という二つの自分の中に閉じ込められてしまいました。その他のいろいろな自分を生きられなくなってしまったことも、すごく大きなストレスだったんじゃないかなと思います。ストレスの発散場所も無くなり、家族にあたってしまうトラブルが増えたという良くない話もたくさんありました。
何が欠けているのかと考えると、音楽好きな人がコンサートに行って思いきり発散させるとか、スポーツが好きな人がみんなと汗をかいてストレス発散するとか、そうしたことが出来なくなってしまったのも、ストレスをリレーさせてしまう原因かなと思っていました。
また、物語の終わり方もいろいろと考えていました。
僕が東京に住んでいるので余計に感じることですが、コロナ禍ですごく自然が恋しくなったんですよね。東京、特に都心はビルばかりで、歩いていても両サイドがビルで遮蔽されていて、歩いていても目の前はビルしか見えない。空を探すと、遥か上のビルとビルの間にちょこっと見えるくらいで、すごく圧迫感があります。
一方で、京都に行くと、道がドーンと開けていて建物も低いので、空がすごく大きく見えるんですよね。京都という町の、歴史もあってすごく長い時間が流れている感覚と、空が広々している感覚が結び合ってくると、何か開放感を感じます。
僕も京都に住んでいた頃、賀茂川の植物園がある辺りでぼーっとしていたら、本当に穏やかな気持ちになっていったことがありました。コロナ禍でなかなか京都にも行けなくなり、すごくあの時間が恋しくなっていたんですよね。それで、小説の最後を、主人公が賀茂川でぼーっとしていたら、なんとなく「あの人、変な人だったなぁ」ぐらいの気持ちで、気が晴れていくのを書きたくなったんです。
もちろん、ルーシーという人物が、すごく人間ができているからリレーを止められたという読み方をしてもらってもいい。留学生で日本の友人が少なくて、次に誰かに会うまでに時間を置けたから落ち着いたということもあるかもしれない。その辺は複雑なニュアンスも残しながら、彼女でリレーが止まったのはすごく良かった。彼女も立派だよね、ということも含めて表現したかったんですよね。
── 作品の冒頭とラストでとても印象的だった賀茂川のシーンも、こころの換気法の一つですね。
平野:ストレスを感じた時は、いったん一人になるのは必要なことかもしれません。少し気分が落ち着いたところで、「なんか腹立ったわ」と面白おかしく話せれば、聞いてる方もストレスになりにくいものです。自分が怒っているままに話せば、話を聞く方もちょっと気まずいですが、落ち着いてから「こんなに頭にきたんだよ」と話すことが出来れば、意外と面白い話題になります。僕も、腹が立つことがあった時は、自分の中で落ち着いたら仲の良い人になるべく面白おかしく、自分が経験したことを話したりします。
また、家で好きな音楽を静かに聴いていると、音楽に感動して震えている自分の「分人」がだんだん大事になってきます。僕にとっての音楽のような、ちょっと一人になって没頭するものがあるといいのかなと思いますね。
【優しさのリレーも起きている】
── 社会でストレス・リレーが起こる一方で、温かい連鎖も広がるといいですよね。
平野:そうですね。いったん一人になった方がいいという話と矛盾するようですが、ムカムカしている時にちょっと誰かに優しくされるとストレスの連鎖が止まることもあると思います。
実際に、ストレスではなく優しさのリレーも社会では起きていると思います。幸福のリレーみたいな話を書けばよかったのかもしれませんが、僕はちょっと屈折した悩める人間なので、ストレス・リレーの方に興味があって、そういう話を書きましたが(笑)。
人と人との繋がりがストレスを軽減するような世の中の雰囲気になってほしいですね。トゲトゲしい関係に疲れているところだと思いますが、少しずつ気をつけながら人に優しくしてあげると、自分も気分がいいと思うんですよ。誰か困っている人がいて、周囲の人々が手を貸してあげていなかったけど、そこで、自分が道案内をしてあげたとしたら、自分も満更でもない人間かもしれない、と思える。ちょっと自己肯定感が高まると言いますか。少しずつ、そういうことが起きていくといいなと思いますよね。
また、僕たちは、つい、出会う人みんなが普通にコミュニケーションができるということを前提に接しがちです。しかし、例えば発達障害などの理由があり、ちょっとコミュニケーションが苦手な方、ちょっと違うコミュニケーションの仕方になる方もいます。それを理解できれば何でもないことですが、当たり前を求めてしまうと「ちょっとなんなんだ、あの人は」という態度になってしまうことがあります。
生活で苦労されてる方も多くいらっしゃると思います。僕も昔は、そうしたことがわからなくて、店員さんの態度が不可解で、むっとしたことも正直ありました。自分には愛想が悪く見えたけれど、他にも事情があるのかなと思うことが出来れば、こちらの態度も変わってきます。
そういったことも皆さんと共有したいと思っていた小説だったので、そこに注目して、共感してもらえたら僕もとても嬉しいです。蕎麦屋の若い女性店員店員・リサ(ドラマで命名)の親御さんも、お子さんと一緒に生きていくということで、喜びと苦悩、両方あると思うのですが、その辺もドラマで非常にうまく表現されていて嬉しかったです。
── ありがとうございます! 最後に、本日のイベントを通じての感想をお願いします。
平野:皆さんが、僕の短篇を大切に受け止めてくださったことがとても嬉しかったです。東京生活が長くなり、京都のことをいつも恋しく思っています。京都の皆さんが僕の小説を受け入れてくれたことが、京都に心が帰っていくような嬉しい経験でした。
殺伐としていると、負のスパイラルも発生しやすいと思います。ストレス・リレーがずっと続いて、ストレスが社会に蔓延していけば、誰にとっても居心地の悪い世の中になっていく。みんなが生きていて心地良い世の中にするためには、少しずつみんなで気をつけていくことが必要かなと思いました。
ぜひ僕が小説で描ききれなかったいろいろなことを、ここから皆さんが実践してくれるといいなと思います。本当にありがとうございました。