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DJ RIO×平野啓一郎 ─ 分人主義とバーチャル社会〔対談前編〕分人に身体が伴う「アバター社会」

text by:平野啓一郎

平野啓一郎は、人間を一つの「個人」ではなく、シチュエーションに応じた様々な「分人」の総体として捉える考え方を提唱しています。5月に発売した最新作本心で、主人公は、亡くなった母の情報を学習したAIが再現する3Dモデル「バーチャル・フィギュア」と向き合う中で、自分の知らなかった母の分人と出会います。

対するは、KMNZをはじめバーチャルタレントをプロデュースするREALITY株式会社代表のDJ RIOさん。バーチャルタレントたちは、アバターをまとうことで、現実では表現できなかった「本心」のままで生きる道を見つけています。

バーチャル社会について考える時に、分人主義は避けて通れません。『本心』をたたき台として、訪れつつあるバーチャル社会の姿を考えた二人の対談をお届けします。

※この対談は、KAI-YOU Premiumに掲載された記事からの抜粋です。記事全文はこちらからご覧いただくことができます。

平野啓一郎 + DJ RIOさん + 司会:難波優輝さん


 

【居場所はどこにあるのか

平野:『本心』を書く時もずっと考えていたことですが、バーチャル空間の方が生きやすい、心地いい、バーチャル空間内の分人が一番好きだ、という人も今後は出てくると思うんです

お金がない、体調を崩している、容貌にコンプレックスがある……など、いろいろな事情で現実を楽しめない。けれど、バーチャル空間内だとすごく解放感がある。そう感じて入り浸っている人がいたとして、それは誰にも責められないはずなんです。

──しかし、そうした生き方はまだメジャーにはなりえていないですね。

平野:そう、現実世界ではなくバーチャルな世界に入り浸っていることに関して、この社会では、現実を生きることに対し、序列的に低いものとみなして、それは「不健康」といった見方が今でも支配的だと思います。

2000年代の初めくらいに恋愛ゲームがたくさん出てきたときに、そのプレイヤーたちは「今どきの若者は人間と恋愛ができないから、恋愛ゲームのバーチャルな女の子と恋して喜んでいる」みたいな文脈で語られることが多かった。正直に言うと、僕も近い印象を持ってました。

けどやっぱり、それは現実の世界の、「リア充」みたいな勝ち誇った人の意見なんじゃないか、と今では思うんですね。生きた女性とのコミュニケーションが苦手で、バーチャル空間の恋愛だったら楽しめる、という時に、どうしてそれを否定的に捉えなきゃいけないのか。もちろん、「リア充」で恋愛ゲームを楽しむ、という人たちもたくさんいたと思いますけど、その場合も、何か現実で充たされないものを求めているわけですよね。

DJ RIOさん(以下、敬称略):確かに。

平野かたちだけの愛という小説で、義足について書いたことがあります。その時に考えたことですが、健康的な生身の肉体の素晴らしさを強調すればするほど、代替的な身体としての義足のユーザーは、価値的に劣るものを身に着けている、というような劣等感を抱かされて、やっぱり傷つくんですよね。

だけど、みんな満たされないことを何らかの方法で満たしながら生きているし、そっちの方がより価値があるということもある。それで、小説では生身の足以上に素晴らしい義足というコンセプトを考えました。

  たちだけの愛平野啓一郎

日本の将来を考えた時、暗い予測も多いので、バーチャル空間で生きて楽しいという人たちが相当出てくると思います。その人達を責めるというのは、根本的に間違った反動だと思います。そういう価値観の変化が社会全体に必要でしょう。

 

 

丸いアイコンは、3D空間では通用しない

──平野さんのお話を聞いて、バーチャルで生きるということを具体的に考えてみたいと思いました。DJ RIOさんが代表を務められているREALITYでは「なりたい自分で、生きていく。」という印象的なフレーズを伝えられています。バーチャル空間で生きる時、心だけでなく身体にも注目されていますが、そうした未来のバーチャルな世界にどんな展望を持っているのでしょうか?

DJ RIO:「REALITY」というアプリで、誰でもスマホだけでアバターをつくれる。実は、今までのアバターサービスって着せ替え人形みたいなものだったんですよ。

──着せ替え人形?

DJ RIO:自分自身の外見ではなく人形のように創作する対象だったんですね。ただ、技術が発展して、今は自分の顔の動きを再現しながらなおかつ声をリアルタイムでストリーミングすることができる。これはもう着せ替え人形じゃなくて自分になっている。新しい自分をつくって、新しい自分を通して他の人とコミュニケーションする、発信・表現活動することができるという事業なんです。

今後こういうものが当然になっていくと思っています。というのも僕らは一日の中の相当な時間をネット経由で人と会うこととか、人と話すとか、何かを情報発信することに費やしている。それってつまり、“自分の人生に占めるオンライン上の自分” の時間が多いわけじゃないですか。

──「ネットの分人」ですね。

DJ RIO:まさに分人主義の言葉で言えば、いくつかの分人の比率のうち、オンラインの分人比率が上がっているわけですよ。

今は技術的な制約、あるいはコンピューターないしデバイスの特性で、平面ディスプレイだし、テキスト主体でやっている。けれど、VRのヘッドセットやARグラスなりがもっと小型化して、日常的に着けていられるようになれば、オンラインの生活空間がつねに3Dになるわけですよ。

3D空間内で情報にアクセスしながら過ごす時間が、今のLINEやTwitterを使っている時間と同じくらい増えていく。そうなったとき、人を示す表現って、丸いプロフィールアイコンじゃないでしょ、と思っているんですよ。

平野:うん、そうですね。

DJ RIO:今は丸いアイコンがあってその隣にニックネームが出ているというのがペルソナ、自分を示す表現ですよね。でも3D空間内でアイコンがぷかぷか浮かんでいてもまるで実在感がない。だから、3Dの身体を基本は持つはずです。

デジタルの身体を持った人とコミュニケーションしたり、接したり、仕事をする、ということが当たり前になっていく。

SNSのアカウントと同じくらいのカジュアルさでアバターを持つことが当たり前になる時にみんなに使われるサービスをつくってこう、というのが、今やっていることなんです。

考えてみればすごいことじゃないですか? 小さいアイコンとニックネームだけのテキストを、僕らは特定の個人だと認識できているわけですから。

平野:すごく面白いですね。町中の看板とか、漢字一文字をアイコンにしている人もいるけど、やっぱり人間として認識しているんですよね(笑)。あまりにも当たり前になり過ぎているけれど、ただのマークに過ぎない。

 

▶︎後編に続く:「分人主義からいくつもの身体へ


本対談のテーマにもなった最新作『本心』は、現在好評発売中です。こちらの特設サイトより試し読みもできますので是非ご覧ください。

                          

  本心平野啓一郎

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