平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】では、3か月ごとに「深める文学作品1冊」をテーマとして定めています。その作品に関し、1か月目は「平野啓一郎が語る回」、2か月目は「平野啓一郎がゲストと語る回」、3か月目は「読者と語る回」を開催します。
記念すべき公式オープン後の一冊目は、三島由紀夫の『春の雪』。この記事では、8月29日に開催したライブ配信「平野啓一郎が『春の雪』をゲストと語る回」のダイジェストをお届けします。
【「『豊饒の海』論」の完成】
──「文学の森」では『春の雪』を題材として平野さんによる解説や対談を開催してきましたが、いよいよ三ヶ月目の回を迎えました。
『新潮』にて連載していた「『豊饒の海』論」がついに完結を迎えました。過去に発表した「『英霊の声』論」「『金閣寺』論」「『仮面の告白』論」を合わせて、単行本『三島由紀夫論』として、来年、2022年夏以降、刊行される予定です。改めて「『豊饒の海』論」の執筆を振り返っていかがでしょうか。
平野啓一郎(以下:平野):当初は「『豊饒の海』論」を三ヶ月の短期集中で連載する予定でしたが、結局、11回連載、途中で短編『ストレス・リレー』を挟み、ちょうど一年がかりの仕事となりました。『三島由紀夫論』を、三島の没後50周年(2020年)に合わせて刊行したかったのですが、『豊饒の海』四部作は小説としての評価、出来不出来はともかく、三島が自分の生涯をかけ、心血を注ぎ込んでいる作品です。読み進めていくと、三島が言わんとしていることが、あらゆる細部に至るまで縦横無尽に張り巡らされていることに各所で気づいてしまい、それを論じるため想定していたよりも時間がかかりました。また、『三島由紀夫論』の単行本化を見据えて、これまで「『金閣寺』論』」や「『仮面の告白』論」を書いたときに十分に論じ切れなかった部分を改めてしっかり書いておこうとしたことも影響しています。
──文学の森の皆さんも『三島由紀夫論』の刊行を楽しみに待っていらっしゃると思いますが、「『豊饒の海』論」だけでも今読み解いておきたいと高まる気持ちがあるかもしれませんね。
平野:そうですね。「『豊饒の海』論」を読んでから、『豊饒の海』を読んでもらうと、よくわかる部分もあると思います。特に「唯識」という仏教の思想を、三島は誤解しているところがあると思います。現代は仏典の現代語訳や解釈の本が豊富にありますが、当時はそういうものはありません。また三島は漢文の知識に富んでいた訳ではなく、もちろんサンスクリット語やチベット語の素養もなかったと思いますから、「唯識」の自己解釈(誤解)をしながら、物語を書き進めていった様相があります。それは仕方がないところもありますね。意外に研究者もその誤解についてきちんと論じていないので、もしかしたら僕が初めて指摘したのではないかと考えています。
【40代にして10代に回帰する】
──平野さんが三島の没年45歳を超えたからこそ、共感できたことや理解できたこともあったのではないでしょうか。
平野:そうですね。三島は40代になって、10代の頃の自分の思想に回帰するようになります。同世代の若者と同様に戦死できなかったという罪悪感を伴う戦争体験が、彼の中で大きくなっていきました。日本浪漫派との関わり、特に若者を戦死へと鼓舞したのに、戦後は長生きした保田与重郎という思想家の態度に対し、微妙な言い方で批判するようになる一方、自決した蓮田善明という国文学者に対しては心酔していると言っていいほど強く傾倒していきます。戦後これまで三島が封印していた日本浪漫派との関係が、40代になり彼の中で大きくなっていくのです。
僕は10代の頃、三島由紀夫の作品から非常に影響を受け、小説を好きになっていきました。40代の僕が、10代の頃に影響を受けた三島を読み直すという作業は、三島が40代にして10代に回帰したことを、ある意味追体験しているともとれます。「『豊饒の海』論」を書くにあたり、三島と自分との関わりがあったからこそ、熱心に四部作を読んだということも多いにあります。
「『豊饒の海』論」を僕は批評的にも書きましたが、三島の可能性として開かれている部分と、思想的な限界なのではないかと思うことを、できるだけフェアに書こうとしました。
本当は、三島没後50周年の年に合わせて刊行したい気持ちが強かったのですが、論じようとして読み込めば読み込むほど見えてきた三島の言わんとするディテールを埋めていく作業、また研究者の資料に目を通すことなど、とにかく予想よりも膨大な仕事になりました。
人を追い詰めていくのは締め切りですよ(笑)。それが無理な締め切りだと体に悪いし、精神的に追い詰められますね。これとは全然次元が違いますが、三島は11月25日に自決すると決めていました。三島は、楯の会の行動と『豊饒の海』の執筆を並行して継続していましたが、『天人五衰』には、かなりの箇所に書き急ぎでいるところが見受けられます。必死に間に合わせようとして焦っていた三島の心境がひしひしと伝わってきましたが、僕は45歳で死ぬわけではないので、無理やり没後50周年に合わせるべきこともないだろうと、期限よりも、内容の充実と拡大の方向へと基軸を転換させました。
【世界を網羅するような小説】
平野:『春の雪』は、浜松中納言物語の「夢のお告げと輪廻転生」というテーマにインスピレーションを得て作られた物語だということを、三島自身が解説しています。
三島は30代前半から”存在論”に関心を持ち始めています。戦後社会の空虚感から人間が生きるということはどういうことなのか、そもそも人間が認識している世界が実在するのかということを、『鏡子の家』の登場人物・夏雄を通して表現していました。しかし『鏡子の家』の文壇での評価が芳しくなかったことにより、もっと自分の世界を体現した代表作となる大作を書こうと、構想を練り始めます。
世界を網羅するような小説を書こうとした三島は、ハイデガーなどを読んでいますが、その影響は断片的であったに過ぎませんでした。しかし「唯識」の勉強をして、仏教はニヒリズムだと解釈し、大いなる興味を持ったのだと思います。世界はあらゆる関係性により成り立っており、個体(個人)は存在せず、自分があるということは思い込みであるという考え方は、戦後社会に彼が感じていた虚無感と相通ずると確信したのだと思います。「戦後社会=仏教的な虚無主義」という図式が、彼の思想の骨組みとなることに期待したのです。このような流れがあり、「唯識」を思想の底流として、輪廻転生をテーマに、彼の代表作となるような壮大な長編物語を構想しました。
【なぜ、輪廻転生なのか?】
平野:三島は家父長制度に対する非常に強い反発を持っていました。それには、三島自身のセクシャリティの問題も含んでいると思います。ある一族の父系譜中心の物語より、家父長制度から離れ、血統と関係のない大いなる物語を書くために、輪廻転生を物語の手法として使ったのだと思います。
第四巻目の『天人五衰』の最後のところで、清顕の親友・本多が、自分は清顕に嫉妬していたのだと気づき、育てようとしている養子・透(清顕の生まれ変わりと当初考えられていた)が成長するのを阻むような教育をしますが、透との多くの確執があった後、屈折を重ねた果てに、奇妙な親子関係が生まれます。三島が書いた親子関係の中では、最も印象的で、良い親子関係を描けているのではないかと思います。
第二巻目『奔馬』では、清顕の生まれ変わり・勲という人物に託して三島自身の自決につながる思想が描かれていることが、丁寧に読むとわかります。第三巻目『暁の寺』では、更なる清顕の生まれ変わりであるタイの美しい王女、ジン・ジャンに本多は翻弄され、煩悩を持つのですが、結果として、仏教の教えである「唯識」を会得するまでに至っていくわけです。先ほども話しましたが、第四巻目で透との親子関係が最終的にはふしぎに魅力的なものとなり、透と絹枝との恋愛は、この長編の中では初めて成就したように見える恋愛なんです。第四部の最後、本多が出家した聡子に会いに行く場面は、月修寺の階段を清顕が登ったように、本多も階段を登り清顕を追体験して行くのです。
この輪廻転生の物語の発端として、『春の雪』では松枝清顕という主人公を登場させていますが、彼は三島の投影というより、三島の憧れであり嫉妬の対象でもあるのです。『金閣寺』や『仮面の告白』とは対象的に、女性を愛することができ、その生涯をかけて愛を貫こうとし行動ができる清顕、しかも夭折するという三島の憧れが込められています。前回と重なりますが、タブーを何度も重ねる禁断の恋愛、典雅な大正時代の恋愛ロマンに仕立てることで、清顕の聡子への愛を高めるのですが、この清顕に共感できるか否かで、長編である四部作を読み進めていけるのかの鍵を持つ重要な作品だと言えます。また三島を理解する上では、『豊饒の海』はとても大切な作品だと思います。
(編集・ライティング: 田村純子)
続きを読む:平野啓一郎が三島由紀夫『春の雪』を読者と語る──第二部:作家と読者との交流
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10月の配信に間に合わなかった方も、ご入会後はアーカイヴ動画をご覧いただけます。そして11月のゲスト回では、ご本人の登壇も! 小説家の案内で、古今東西の文学が生い茂る大きな森を散策する楽しさを体験してみませんか?ご参加をお待ちしております。