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平野啓一郎 × 清水康之JSCP代表理事──生きづらさの核心と「生きやすくなる」ヒント

text by:平野啓一郎

平野啓一郎の長編小説『空白を満たしなさい』が2022年夏、NHK総合でドラマ化されました。3年前に亡くなったはずの主人公が、ある日突然蘇り、家族の前に現れる物語です。死因は「自殺」。身に覚えのない死の真相を追い求める中で、人が生きる意味や、幸福の意味を知っていく姿が描かれています。

ドラマ化にあたっては、自殺対策の実務家である一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター(JSCP)」の清水康之代表理事が「自殺対策考証」を務めました。

小中高校生の自殺が過去最多の水準となるなど、若い世代の自殺対策は待ったなしの状況が続きます。異なる立場から現代の社会問題に向き合う、平野啓一郎と、清水康之さん。今の時代の生きづらさの核心、そして、一人一人がこれから先に少しでも「生きやすくなる」ためのヒントについて、語り合いました。

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撮影=JSCP

※この記事は、「いのち支える自殺対策推進センター」(JSCP)のホームページに掲載された対談記事を転載したものです。元の記事はこちらからご覧いただけます。


なぜ自殺をテーマに小説を書いたのか?

平野啓一郎(以下、平野):2000年代前半の何とも言えないニヒリスティック(虚無的)な社会の雰囲気の中で、『決壊』(2008年、新潮社)という小説を書きました。非常に絶望的な終わり方だったので、読者からは「すごく心動かされたが、どうやって生きていったらいいのか分からなくなった」という感想が随分寄せられました。その問いを小説家として深刻に受け止め、考えなければいけないと思いました。自分自身もダメージを受けたから、リハビリの意味もあったんです。とにかく生きることがみんなにとって難しい時代になっていると感じていて、自殺というテーマが文学的に思い浮かびました。

もう一つの理由は、身の回りでも自殺で亡くなった方が何人かいたので、「もうちょっと自分にできることがあったのではないか」という思いがあったことです。よく「自殺する勇気があればどんなことでもチャレンジできる」って言う人がいるが、そういうことではなく、亡くなった本人は「生きたい」と思いながらも状況的に追い詰められ、最後の一瞬は明確な意思すら持てていなかったのではないか、という問題意識がありました。当時、年間の自殺者数が3万人以上で高止まりしていた時代だったこともあり、正面から自殺について書いてみようと考えました。

清水さんのライフリンク(清水代表理事がJSCPとは別に代表を務めるNPO法人)の活動はそのころから知っていて、「自殺は社会問題」であるという視点は非常に共感しました。私はロスジェネ世代で、自分の中にも「たまたま景気の悪い時代に社会に出たのに、全部自己責任にされたんじゃたまらない」という強い反自己責任論があり、自殺についても、自己責任論的に語られることに反発があったんです。

清水康之(以下、清水):『空白を満たしなさい』は、自殺対策にとって啓発的な側面と実務的な側面から本当に心強い作品だと感じています。まず啓発的な側面では、ご遺族が周囲の偏見や無理解に苦しむ様子がリアルに描かれていること。つまり、ご遺族には(家族の死について)自分を責めたり、あるいは周囲から責められたりする中で自責の念を強め、自分が悪かったという物語にとらわれながら生きざるを得ない方がたくさんいます。ドラマで描かれたように、実際に多くのご遺族が、笑顔を見せれば「家族が亡くなったのによくあんなに明るくしていられる」「家族が死んで清々しているのだろう」、逆に暗い表情をしていれば「いつまでも引きずって」などと言われ、いずれにしても責められる状況があります。

小説やドラマでは、そういうご遺族が置かれた現状をきちんと描きながら、ご遺族にとっては亡くなった家族と重ね合わせるであろう主人公が、蘇った後に「本当は死にたかったわけじゃない」「家族を置いて逝こうとしたわけじゃない」と語ります。遺族の方々は社会から押し付けられた物語にいわば翻弄されていますが、そうではない可能性があることが、現実を直視しながら物語として提示されます。

物語に翻弄されてきた方々だからこそ、ポスターとかキャッチコピーの力では到底それに抗えず、対抗するための物語が必要です。その物語を『空白を満たしなさい』は提示してくれていると思っています。

もう一つ、「死にたいやつは勝手に死ね」という社会の風潮が残る中で、亡くなった方自身が(蘇った後に)「本当は生きたかった」と気づく姿を描いています。それを物語として伝えることは、ご遺族にとって、今自殺を考えている方にとって、あるいは社会全体に対しても、啓発的な意味がとても大きいことだと思いました。

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続いて話題は、平野啓一郎が提唱する「分人主義」へ……

「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。

分人主義Official Siteより

自殺対策の効果的なツールとしての「分人」

清水:「空白を満たしなさい」が自殺対策にとって心強い、もう一つの実務的な側面として、「分人主義」のコンセプトは、本当に発明だと思っています。自殺の多くは「心理的狭窄」に陥って起こります。英語だと「トンネルビジョン」と言われるくらい、追い込まれた人は出口は自殺しかないと思い込んでしまう。その状態から、トンネルの壁を引き剝がすように「実はもっと開けた世界があるんだ」「開けた自己が存在しているんだ」ということを具体的に納得、理解してもらう必要があります。「分人」は、そのための非常に現実的かつ効果的なツールだと思っています。

平野:そう言っていただけると嬉しいです。それは、私自身もこだわった部分です。『決壊』を書いていた時、主人公が従来の思想である「個人」という単位で物事を考えている場合、主人公が変わらず、社会もそのままである限りはハッピーエンドになりようがないところがありました。エンターテイメントならば、周囲から「もっと生きろ」などと言われて根性論的に立ち直っていくというハッピーエンドもあるが、それは説得力がありません。

人から「こうすべき」と言われるよりも、自分が自分の状態を客観的に把握する上で有効なモデルを考えることが大事で、やはり主体のモデル自体を再検討するのが重要なのではないかと考えました。

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ポジティブな価値観の暴力性

平野:自殺に至るプロセスは、複合的で非常に複雑です。私は「健康」とか「幸福」とか、誰もケチのつけようのないポジティブな価値観が社会に蔓延していて、それに向けて尻を叩かれ続けている状況が、非常に苦しいのではないかと感じています。絶対的な「幸福」というのがどんな状態かは誰にも分からないから、相対的な人との比較にしかならず、どこまでいっても満たされません。「健康」だって、「健康にならなきゃいけない」というのが目的化されてしまうとつらくなってしまう。現に病気と付き合いながら生きている人もいます。「家族は素晴らしいもの」とかもそうです。

社会の中でポジティブに語られている一見否定しようのない価値観だけれど、現実にはそうではない人がたくさんいます。だから、それ自体がみんなを追い詰めてしまっているという状況、ポジティブな価値観の暴力性みたいなものをうまく捉えないと、今の時代の息苦しさはなかなかつかめないのではないかと思います。

清水:まさに同調圧力が強く、それに抗うことができる信念や確信などを持ちにくい社会では、どうしても周囲との関係の中で自分を位置付けていかざるを得ない。自分が何をやりたいかよりも、周りにどう評価されるか、先生が自分に何を期待しているかで行動し、期待に応えると褒められるのでその行動パターンが定着します。そのまま大人になっても、結局周りの目におびえながら、自分のやりたいことや自分が何者なのかが分からず、どんどん空洞化していきます。

そのうちに、自分であることの必然性も、自分であることの意味も失ってしまう。かつてであれば、そういう状況でも社会にしがみついていれば、右肩上がりに経済成長を続ける中で昨日よりも今日、今日よりも明日の方が豊かな社会、人生になっていく幻想に浸れましたが、今はもう、しがみついているだけで右肩下がりです。

つまり、個々人に対して「生きる意味」が問われる時代の中で、自分でそれを紡ぎ出していく力も機会も奪われ、そもそも生きるモチベーションを持てなくなっています。それなのに日々、周りの目におびえながら生きなければならないとなると、そのしんどさを引き受けてまで、生きることを続ける理由が見つからない。積極的に「死にたい」わけではないけれど、「生きるのをやめたい」「もう消えてしまいたい」となります。

「分人主義」の考え方は、こうした状況も踏まえた上での処方箋だと思っています。空洞化はしているが完全な空洞ではなく、ちょこちょこと自分が心地よいと思える分人があれば、それを確認することで「自分全部を否定すべきものではない」と気づけるし、その領域を少しずつ広げていくことによって「心地よい人生を切り開いていける」という予感や確信を持てるようになると思います。

そういう処方箋が、自殺対策の実務家、あるいは精神科医や弁護士といった専門家ではなく、小説家である平野さんから出てきました。しかも、それが時代的な文脈の中で、多くの人が直面している実務的な課題の解決策として提示されています。自分たちだけが自殺対策の担い手だなんてまったく思ってはいないが、平野さんが小説家としてこの時代と向き合っていく中で、自殺対策に効果的と思われる処方箋を本当に具体的に出していただいたことは、強調しすぎることはないくらい頼もしく思っています。

極めて私的ながら、社会そのものを問う自殺問題

平野:「文学なんて役に立つのか」とよく言われますが、結構役に立つのではないかと私は思っています。

もう一つ、さっき清水さんが言われたこととも関係していると思いますが、(今の時代の息苦しさについて)自分の実体験として感じていたことがあリマス。私は20代のころ、ワーカホリック(仕事中毒)のように仕事をしていて、1日14時間くらい執筆し、苦しいけれど、その苦しさが何か充実感のように感じられていました。結局、自分がなんで生きているのかという手ごたえが、仕事を一生懸命した後の疲労感というのはある種分かりやすい。それで、逆にだらだらしてしまうと「今日はまったく仕事をしなかったな……」と自分に対し否定的な気持ちになりました。

ただ、それは自分の性格的な問題だとある時まで思っていたけれど、やはり社会の風潮を相当内面化しているなと思いました。どうして一生懸命働かないことに罪悪感を抱き自分を責めるのかというのは、だらだらしているように見える人に対して、責めたり、排除しようとしたり、という価値観が社会の中にあり、それを内面化すると自分の怠けている部分や異質な部分に対し非常に攻撃的になってしまうのだと思うようになりました。自殺をしてしまう人がどうしてあんなに自分を責めるのか、というのも、同じことなのではないか。

だから、自己嫌悪に陥っている人に対し「自分を責めないで」というメッセージをみんな発しますが、社会が異質な人や怠けているように見える人を責めるままでありながら、その中で生きる人に「自分を責めないで」と言っても、それは無理だと思う。だからやはり社会が、「今はそんなに頑張って働けない」という人に、「まあ、いいんじゃない?」という緩い態度になっていけば、自分自身が「今はちょっと頑張れない」という時にも、許せることがあると思います。

少しでも「生きやすくなる」ためのヒント

清水:先ほど、「分人」は、自殺対策のための非常に現実的かつ効果的なツールになり得るという話をしました。例えば、年に1度「分人探索週間」のようなものを設けたり、ワークショップを開いたりするのはどうか。自分自身にどんな分人があるのかを探索して書き止めておき、分人が出そろったらその構成比率はどうなっているか、理想はどんな比率か、それに近づくためにはどうしていったらよいかを考えます。そうした、ある種の訓練をしておくことで、追い詰められた時に「もう自殺しかない」という心理的狭窄に陥るのを防げるようになるかもしれません。

平野:分人主義について書いた『私とは何か「個人』から「分人」へ』(講談社現代新書)と『空白を満たしなさい』を出版した後、中学校や高校でかなり講演を頼まれるようになりました。そういう時には、生徒たちと一緒に分人の円グラフを書きます。私自身の中学時代の円グラフも書きながら、好きな子の前の分人や嫌いな上級生の前の分人など、そしてその構成比率を書き込み、「この嫌いな分人を消したいという気持ちのために、すべての分人を巻き添えにして自殺してしまうのはやはりもったいないのではないか」と伝えています。

その後、今の私の円グラフも書きます。中学生くらいの頃は将来をなかなか思い描けないけれど、将来いろいろな人との出会いによって生じた分人の構成と比率は、今とはまったく違うものになっていることを伝えると、納得してくれる子もいます。

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清水:最近は、メタバースのような仮想空間の中で、とりわけ分人主義の考え方が理解されやすい環境にあるのではないかと思います。リアルな世界の自分と、仮想空間の中の自分を物理的に明確に分人化しやすい状況であり、あるいはそれ(分人化)が必然になってきています。

私がJSCPとは別に代表を務めるNPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」では、SNSによる相談活動もしているが、電話の方が話しやすいという人もいれば、面談で直接話したいという人もいます。もっと言えば、おそらくアバターの方が話しやすいという人もいると思う。だから、そういうコミュニケーションツールに合わせた相談の受け皿を、社会が用意していくことがとても重要だと思っています。

単にそれぞれのニーズに合った受け皿を作るというだけでなく、例えばある人の分人の一つがSNSでのコミュニケーションがとても得意だといった時、その分人がリアルな世界の自分が抱えている悩みをSNS上で解決して、その解決策を別の分人が抱えている悩みに当てはめたり。そういうコミュニケーションの回路の多様化は、その人の抱えている課題を解決できる可能性を高めます。

平野:そう思います。「コミュニケーション能力を高めなさい」と「自分らしく生きなさい」という、実は矛盾するメッセージが社会から同時に押し付けられていて、みんな混乱してきました。「私は私」と自分らしく生きようとすると、相手とのコミュニケーションの中で自分が変化していくことに否定的な感情を持ってしまうかもしれませんが、変化しているのが複数ある自分の分人の一つだと思えると、柔軟にコミュニケーションができるということはあると思います。

ただ、そうしたSNSツールは、自分に合ったものを自分の好きな範囲で使えばよいと思います。私はTwitterなどは割と好きだから使っているが、全く使わないツールもあります。過剰適応しようとすると、逆に苦しくなってしまうから。

この「過剰適応」という言葉は、これに陥らいないようにすることでかなりの問題が解決するのではないかと思うくらい、生きづらさを読み解く上でカギとなるのではないでしょうか。

清水:本当に、そう思います。知らないうちに過剰適応し、すごく苦しくなっているということは結構あると思います。人は過剰適応をしがちだという自覚があった方が、陥らずに済みます。

平野さんは小説家、表現者という切り口で、私は実務家としての切り口で、現代社会の問題に立ち向かっていて、向き合おうとしている問題は共通する部分がすごく大きいと思っています。平野さんの活動をすごく心強く思っており、引き続き私も自分の現場で力を尽くしていきたいです。

平野:自殺対策の取り組みが、さらに前進してほしいと願っています。私も小説家という立場でできることを考えていきたいです。


(文=JSCP)

▶︎自分の中にある「分人」について、その構成と構成比率を知るための円グラフは、「分人主義公式サイト」にて作成を体験することができます。


清水康之(しみず・やすゆき)
1972年、東京生まれ。1997年、NHKに報道ディレクターとして入局。自死遺児たちを1年がかりで取材し、「お父さん、死なないで ~親が自殺 遺された子どもたち~」(クローズアップ現代)を放送。2004年にNHKを退局し、NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」を設立。「自殺対策基本法」成立の原動力にもなった。2019年、一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター」を設立。

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