最新エッセイ集『文学は何の役に立つのか?』刊行を記念して、2014年刊行の『「生命力」の行方』(講談社)収録エッセイを公開します。『「生命力」の行方』は電子書籍をこちらよりご購入いただけます。

古井由吉×平野啓一郎
──「震災後の文学の言葉」
【復興と改造は別物】
平野 東日本大震災から一ヵ月半が過ぎた4月30日、5月1日に僕も被災地を回り、「被災地までの距離」という文章を書きました(「群像」2011年7月号)。古井さんも朝日新聞で被災された仙台在住の佐伯一麦さんと往復書簡をなさったり、また最新短篇小説「子供の行方」(「群像」2011年8月号)では、今回の震災と太平洋戦争下の空襲体験の記憶を二重写しになるような形で書かれてます。今日は震災以降の世の中の変化について古井さんにお話を伺いたいと場を設けてもらいました。
僕はもともとは愛知県の生まれですが、すぐ北九州に引っ越して、大学からは京都が長かったので、ずっと西日本の人間だったんです。東北は遠い場所で、今まで足を踏み入れたのは会津に一度きりでした。僕の実感を一般化してはいけないですけど、ひょっとすると西日本の人にとっての東北の距離、遠さは、ここ千年くらい変わってないんじゃないかなという気がします。
古井 西のほうの育ちの人にとってはそうなのでしょう。僕の先祖は美濃だから西なんだけど、配偶者の出身が福島なんですよ。福島には配偶者の老母がいまして、透析を受ける身です。僕には東北はその分だけ近い。それでも震災が起こってみて、東京がこんなに東北に依存していたかと驚きました。
平野 毎朝、天気予報で日本地図は見ていますが、僕の九州の友人、知人には、東北の人と会ったことない人も幾らでもいます。今回、震災が起こって、そのショックと、大きな危機を共有しなくてはいけないという気持ちから、ある意味では西日本にとって東北は近くなったけど、逆に震災を経験してないことで、また一つ別の距離、遠さも感じてる…………。
古井 三陸の人が現在どういう暮らしをしてるかは、東京の僕らにもよく思い浮かべられないところです。
平野 僕は宮城県の医療制度改革に携わっている人に同行させてもらって宮城から岩手の被災地を視察したのですが、見て感じたのは当然のことながら、津波は、その集落がどういう性格だったかとかいうこととはまったく無関係に破壊するのだということ。それを上から一律に復興するのは簡単ではないだろうと思いました。
古井 復興と改造は別物です。 東北は歴史のある土地ですから、改造してはいけない。過去とつなげることが大事なのではないか。
平野 最近被災地に行った人に聞くと、宮城・岩手の若い人は、だんだんと意欲的になってきてるようです。ただ、福島の人たちはまだどうしていいのかわからない。
古井 呆然とするのが当たり前なのです。呆然とする時期がたっぷりあったほうがいい。ところが、今はそういう暇を与えない世の中でしょ。すぐさま復興にかかるというのは悲惨なことなのですよ。
平野 今回の震災は被災者の思いとは別に、何かしたいけど関われない切迫感が、被災地以外の地域の側にものすごくありますね。ここ数年東京に住んでいますが、東京も地震のあと原発の放射能が問題視されはじめてから、雰囲気が一変した気がします。かなり抑鬱的になって、それとバランスをとろうとするように、「がんばろうニッポン」みたいな掛け声が躁的に盛り上がって。
古井 こちらも、できるだけ鬱状態に留まるのが望ましいんだけど、それも許されない世の中です。 この底を極めるぐらいのところまで行けば、本当の復興になるんでしょうけど。
平野 その感覚は太平洋戦争の体験からきているものですか。
古井 ええ。空襲の後でも、 の時代に比べれば悠長でした。家の焼け跡をひっくり返して使えるものを掘り出し、バラックを作ってひと月近く暮らす時間はあった。ところが、今回の震災の場合は、焦土ではなく湿土になってしまったでしょう。津波の跡地は仮の暮らしもできないわけです。
平野 阪神大震災と比較しても、あの時は瓦礫を片付けて建物を建てられましたが、今回は地盤沈下しているのでなかなか容易ではないようです。
古井 焼けても土は土だが、津波のあとの土は前の土と違う。津波の場合は土地が失われる。
平野 太平洋戦争下の空襲時に比べ、呆然としてる時間がないと古井さんが感じられる原因のひとつには、今回の震災は復興の様子を海外にずっと見られているというプレッシャーがあると思うんです。震災時に日本人がパニックを起こさなかったことが海外でずいぶんと称賛されましたけど、あれもまた相当に精神的な抑圧になった気がします。
古井 震災後、その損害がこちらにも及ぶか、こちらにとって利益になるかと、海外からじっと見られているのを感じました。
平野 原発についてはとくに露骨でした。
古井 フランスのサルコジ大統領やアメリカのヒラリー・クリントン国務長官までが来日しましたものね。
【時間の感覚が壊れる】
古井 3月11日の東京では、電車が停まって、みんな帰宅するのにたいそう苦労した。普通なら乗り物で一時間足らずで行くところを、四時間かけて歩く。これは今までにない異質な時間の体験でしたね。
平野 震災を機に、時間の流れ方に大きな断裂ができた気がします。
古井 こういう時間の体験は、少しずつ日々の心の働きに影響を及ぼすのではないか。それ以来、外に出ても今自分が家に歩いて帰るにはどのくらいかかるかと考えるでしょう。
平野 実際、都心で遅くまで飲んでるとまた帰れなくなるかもしれないと、自宅の近所で飲む人が増えているようです。
古井 それからマンションの20数階に住む人は、地上に降りるまでの時間がたいそう延長したのを体験した。
平野 それはまさしく僕です (笑)。28階に住んでいるのでエレベーターが止まってひたすら階段を下りました。
古井 常にその可能性を考えなくてはならなくなった。 時間と空間の感じ方が変わった。
平野 ゼロ年代はインターネットが成長して、時空間を疑似的に乗り越えることが加速化した印象があったのに、震災でフィジカルなものに引っぱり戻された感じがあります。その徴候はあって、『かたちだけの愛』という小説でも取り上げましたけど、一気に進んだというか。
古井 戦災時の東京と津波の三陸はまるで違うものだと判っているのですが、自分のような年齢の人間にとって、広域が一度に消滅してしまったのは空襲以来の体験です。
1992年の年末に、東京の戸越銀座の商店街でビル工事をしていたら、地下5mから250キロ爆弾が発掘されたという事件がありました。自衛隊の爆発物処理班を呼んで、半径250メートル、約6,000人を退避させて掘り出した。さすがに47年経っているから、信管がボロボロで安全だったのですが、それを聞いてぞっとしたのは、空襲の時に僕が暮らしてたのがその爆弾の落ちた地点からわずか南南西1.5kmの場所だったことです。
上から物が落ちてくるというのは大変なことで、爆弾にしても焼夷弾にしても、その空気を摩擦する落下音はすごいんですよ。4,5km離れたところに落ちても、防空壕の底へうずくまってると、まっすぐ自分の上に来るように聴こえる。ましてや爆弾を投下する飛行機の側から見たら1.5kmの差なんて無きに等しい。
1945年4月15日と5月24日に東京の西南部に空襲があり、5月24日に僕の住んでいた家が焼かれているのですが、そのどちらかの夜に一・五キロしか離れていない場所に250キロ爆弾が落ち、たまたま不発だったから自分が助かったのかと思うと目が眩む思いがしました。1992年といえば首の手術の直後だったので、自分の感覚の耐えられるかの限界域に、47年も隔てて、また戻ったように感じました。たぶん空襲の夜に、あたりが燃えあがって人がすっかり逃げた後に、強制疎開の跡の空地に落ちて、めりこんで、不発になり、誰も気がつかなかったのでしょう。
平野 それは深刻な体験ですね。
古井 47年の時間が過ぎているのかいないのか、時間とは何だろうという問いに面と向かい合わされるわけです。イデッガーの『存在と時間』ではないけれど、存在というのは「時間性」の中のもの、ということを実感した思いでした。
今回の震災時、僕は机の前で小説(「枯木の林」・「群像」2011年6月号)を書いてました。揺れるのをじっと感じ測るのが、防空壕の中で上から落ちてくるものを感じ測る感覚とよく似てました。一時は自分の感受を超える限界域へ入りかけるのを感じました。
平野 僕も高層マンションの中で仕事をしてました。北九州も京都もほとんど地震のないところだったんで、東京に来て、ちょっと揺れが起こると棚を押さえに行く癖があったんです。今回も反射的にスライド式の本棚が動きだしたので、一瞬押さえに行きそうになったんですが、やめたんです。そしたら、大きな本棚が終いには脱線して倒れてしまいました。
古井 揺れを感じ測ってる間、机の前から立ち上がろうとしないから、傍から見たらさぞや腹が
据わってるように見えたことでしょう。実際には腰が抜けてるようなもんです(笑)。そうやって、自分の中で戦災時に時間を巻き戻していたのです。
その時に執筆中の 「枯木の林」は、そのあとが書きにくくて仕方なかった。時間の感覚が混乱して、「この前」「いつか」「三ヵ月前」といった前後関係が無意味に思われてくる。一瞬の内に断ち切れる時間というものを、どうしても考えるので。連作最後の二篇「枯木の林」「子供の行方」で、いつになく疲れました。
平野 「子供の行方」で、地震と空襲の体験が二重写しに描かれているのは、執筆の過程で戦災時のことが思い出されたわけでなく、3月11日の地震を契機に空襲時の時間に戻ってしまったのでしょうか。
古井 空襲時の七歳の自分と、地震にあっている現在の73歳の自分が重なり合って、そのあいだの歳月が一体何だったのかと思われた。 すると、小説で時間の整合性をつけるのが、単なる手続きに思えて虚しさに取りつかれたのです。災以後、「昔」と言おうと「今」と言おうと同じじゃないかという気持になってしまったのがつらかった。
平野 もともと古井さんの小説は、かなり時間構成が自由に組み替えられてる感じがするんですけど、そんな古井さんでも、地震によって一回その時間の感覚が壊れたようなところがあったのですね。
古井 「実存的時間」なんていうけど、御免こうむると思ったね。あんなものにさらされたら、小説など書けやしない(笑)。
平野 近代になって、空間の遠近法と同じように時間も等分に分けられるようになった。その均等な流れは大きなストレスではありますけど、ありがた味もあるんですね。質によって分けるというのもまた、苦しい。
古井 なんとかしようとすればするほど時間が解体していく。被災して命からがら間一髪で助かった人や肉親を亡くした人も、きっと時間の始末のすべがないと思うんですよ。いっとき呆然として、傍から見ると忘れてるような状態に陥るよりほかにない。そういう人たちにとっても時間はとめどもなく過ぎていくものなのか、それもまたよけいに苦しいことだろうと考えると、これまた書けなくなるんです。
平野 最近、僕は書けば書くほど小説がわからなくなってきてます。小説は一体、何から始まって何で終わるべきなのか。本の1ページを開いて、最後のページを閉じるまでに何が起きるべきなのか。
古井 追いつめられると、時間と空間に関する考察しかなくなってしまうでしょう。すると、小説にとってストーリーは何なのかということになる。
それから、小説は断定の形で止める文章がなくては読みにくい、推定だけでは読者は何を言いたいか受け取りにくい、と頭で分かってはいるんです。ところがこういう心境に立ち至ると断定ができない。
平野 古井さんの小説はそもそも、断定に対して懐疑を挟みながら明晰さに近づこうとする、という方法ですよね。
古井 それを今の状態でやると、果てしなくなってしまう。結局、文章が解体のほうに向かっていくので、今回のことで、通俗さも大事なものだと思いました。
平野 こういうときには、読者も何かが練り上げられていくことを期待してると思うんです。が、それは、人と関わる=コミュニケーションのほうに向かって練り上げられていくのか、あるいは祈り=孤独のほうに向かって練り上げられていくのか。
古井 大筋では言葉である以上、コミュニケーションに向かって練り上げていくのだけど、それがしばしば破綻する。その時に祈りが挟まるんです。でなければ、次のコミュニケーションは回復できませんから。 被災者がそうやって生きてい以上、表現者もそういう状況をくぐるよりほかにない。
平野 佐伯一麦さんとの往復書簡で古井さんは「しかしまた、この恐怖につねに面と向かわされては、人は生きられない。(………)そこで恐怖を畏怖へと昇華させる。」とお書きになってました(「朝日新聞」7月18日朝刊)。被災者には絶望の渦中の切実な祈りがあるかもしれないけど、もともと日本人の信仰の問題なのか、日本社会全体としては、どうかしなければという、具体的なような、そうでもないような話しかない。だからといって、具体的な問題解決を提案するような小説を書くのか。こういう時に文学がどういう言葉を編み上げていくのか難しいと感じます。
古井 ここ40年、50年で日本語は危機の切迫の中で展開してきた言葉でなくなってるんです。地震後のテレビの報道を見ていても、日本語は命令法の語法が衰退してしまったと思いました。警報を出していても、あれでは聞くほうに恐怖感を吹き込むのは難しい。それと同じように僕らが使ってる日本語も、ほんとうのところ、恐怖や不安の表現に乏しくなってしまったのでしょう。
ひょっとすると先進国では世界的にそうなのかもしれない。言語というのはコミュニケーションのほかに、自分なり人なりの救いを求めるものです。危機の緊迫から離れた言語に救済する力があるのかどうか。だからといって、さしあたってどうこう出来ません。僕らとしては、いよいよ回りくどい表現となっても根源の恐怖を示すよりほかにない。しかも、その回りくどさが自己目的にならないよう、どこかで自分から離れた断定を下す必要にも迫られている。
【「自分がいまどこにいるか、わからない」】
平野 日本ではこの震災まで、一番大きな危機は個人の精神的な危機だという時代がしばらく続いたと思うんです。僕よりもっと若い人の小説を読んでいると、登場人物の精神の危機の描き方が、アメリカ精神医学会が定めた診断マニュアルの症例みたいに感じられることがあります。 DSMとか、あとWHOのICDとかですが。
ある生まれ、環境、症状の登場人物の問題を、「解決」を求めつつ、それを棚上げにしながら書くというやり方が続くと、「一度、病院に行くしかないんじゃないか」と思ってしまう。実際、同じような症状で、病院に行って元気になってる知人が思い浮かんだりします。
古井 若い人のことばかり言えないんです。僕の小説でも主人公がどうも精神的に具合が悪い。それがどこから来るんだろうと考える時、同じようなことをやっている。
平野 ただ僕は、古井さんの小説を読んでて、登場人物に「この人、病院行ったらいい」とは思わないんですよ。実際、病院にも行きますけど、そうじゃない人が出て来ても、そういう考えは過ぎらない。どこまでの範囲を文学として扱うというキワが見極められているのか、問題の解決を目指しているというのではないからか。
フロイト以後、文芸批評は随分と精神分析学的なアプローチを導入しましたが、今、精神医学のICDなんか使えば、もっとミもフタもなく、 近代文学のかなりの登場人物が、あのマニアックな分類に当てはまってしまうと思うんです。そういうテクストがあって、現実の社会では、それに依拠してなされる治療がある。環境要因だとか遺伝要因だとかが分析されて、必要に応じて薬剤投与もなされる。 文学の立場としては、日常性から逸脱する登場人物を取り扱う時に、どこにキワを見定めて、どういうアプローチをするべきなのか。
古井 精神分析が開発された二十世紀の初期は今に比べればもっと閉じられた、価値観の安定した社会でしたからね。世の中がボーダレスになっている今、分析もキリがないわけだ。しかもマニアーとは本来、人間を超えた力から降される、心の振れのことですから。 文学者はこの災害をきっかけに変わるかもしれない、とも思ってるんですよ。
日本の地震、津波、水害、飢饉といった災害の年譜を見ていると、災害と災害の間にそれほど年月を置いてないんです。神戸大震災は、断層帯の上は大変でしたが、それほど広域ではなかった。広域の破壊ということでは、ここ66年の無というのが、極めて例外的だったんです。世界がこれで滅びるかと思うような災害が、今までは30年か40年に一度は起こってる。
平野 これは意外に長かったと考えるべきなのかもしれません。
古井 なにしろ7歳の少年が73歳の老人になってしまうのですから(笑)。7歳から僕はずっと、こんな無事なはずはないんだという気持で生きてきた。今度の大震災をどれだけ自分のほうに引き寄せられるか、大震災のあおりでどれぐらい苦しむかが問われている気がします。
平野 確かに三島由紀夫の『鏡子の家』 でも、戦後を生きている清一郎という登場人物は、世界の崩壊を信じてるという設定でしたが、1975年生まれの僕には、実はあんまりピンと来なかったんです。唯一僕にあったのは、80年代の核戦争による人類全滅のイメージです。 けど、宗教の終末論があれだけ説得力を持ったことを考えても、世界各国、割とコンスタントに災害が起きてるんでしょうね。
古井 広域の崩壊が「一瞬にして」起こった。すると、そこで時間の流れが前後を一度に断たれる。こういう体験を津波に見舞われた土地の人はしたわけだから、それをどれだけ分有するかの問題じゃないし。
平野 ゼロ年代はコミュニケーションの問題を考えさせられた時代だったんですが、この地震で2010年代は自然の脅威や社会の危機、その中での生き死にというテーマがもう一回、文学の中で大きくなる気がします。存在論ですかね。あったものが無になる経験もしました。
古井 そのゼロ年代のコミュニケーションですすんだデジタル化が、今度の災害を受けていろんな不都合を生んだ。 アナログ的な思考法をもう一度取り戻さなくてはいけないと思うけど、一旦弱まったものを取り返すのは大変です。これも「一瞬の内」という理不尽が生んだ時間の惑乱です。
平野 時間が流れてくれないと、ロジックが成立しないし、言葉も紡ぎようがない。
古井 東京で地震を体験した者として、放射能を心配するのもいいんだけど、もっと大事なのはいつなんどきでも大災害によって時間は壊れるという予感だと思う。一時間足らずの帰宅時間が四時間になった時に、その片鱗は体験してるわけですから。
平野 アメリカのノンフ 「クション作家レベッカ・ソルニットが書いた『災害ユートピア』という本が話題になってます。災害時に社会的な立場を超えて隣の人と手を取り合うようなある種のユートピアが出現するという話ですが、本当は、わってから日常に復帰していくプロセスは大変だということを、今、日本人は痛感させられています。三島由紀夫が終戦時のことを「夏休みが終わったような感覚」と語ってますが、彼は日常の時間に復帰するのに苦労して、結局復帰しきれなかった人なのではないか。
古井 ただ、すぐに復帰しきれないということも大事なんだろうと思いますよ。日々をつないでいくためにも、復帰しきれない残余がないとかえって空回りする。
テレビの映像で、避難所にいる中年の女性が、「自分がいまどこにいるか、わからない」と呟いたのを見ましたが、これが「体験」だと思いました。 被災地の人は、「自分が生きているんだか死んだんだかわからない」というような不吉なことは滅多に口にしないでしょう。それを言ってたら日常が始まらないから。だからこそ被災者の沈黙の中に何があるか、それを外の人間に感じ分けられるようにするのが、文学者の仕事だと思います。
【日本人の恐怖本能が衰える】
平野 そういえば古井さんがデビューまもなく書かれた「先導獣の話」も、地下鉄に乗ってパニックが起こらない日常の時間の流れ方への懐疑を描いた小説でした。あの懐疑の根底にあったのは、やはり、戦争時の記憶ですか。
古井 ええ。70年少し前だからまだその萌芽はありました。覚えてるのはその数年後に、東京のあるデパートでボタンの押し間違えで非常サインが押され、「火災が発生しました。皆さん、避難口から出てください」というアナウンスがされたのに、誰も聞いていなかったらしい。何の混乱も起こらなかったという事件が起きたことです。
平野 今回の地震でつくづく思いましたが、パニックというのは起こらないんじゃないか。それは、日本人が立派とか、そういう話ではなくて、今はもう「先導獣」が誰かもわからない。
震災直後に原発が問題になってから、東京を脱出すべきかどうかといろいろ言われましたけど、パニックを起こしてはいけないという声のわりに、パニックの気配自体がない。
古井 往復書簡で佐伯一麦さんが、「生命力の掠れが恐怖を融かした。」(「朝日新聞」7月25日朝刊)と書かれた。僕もかなり同感したけど、ちょっと口にはしたくないな、とも思う。「恐怖」は、古代ギリシャ語では「逃げる」という意味です。この世ならぬ怖いものが人の心をとらえて、パニックとなって人は逃げる。この恐怖の感覚が薄れたとは一体何なのか。その兆候なのか覚えているのは80年代後半から高齢者の妙な山の遭難が続いたことです。気象条件や地形から照らし合わせると、恐ろしくて踏み込めないはずのところへ、たいした登山体験もない老人が踏み込んで7人、8人と亡くなる。この頃から日本人の恐怖本能が衰えたのかなと感じます。
平野 さっきの災害の間隔が長すぎた、ということなんでしょうか。自然を恐怖として実感することはほとんどないですし。
古井 自分が現在どういう了見で生きてるかと考えるのは大事なことです。今はみんなちょっとした災害にも耐えられず、しかも恐怖反応はかなり不全に陥ってる。一度突き落とされた時の回復力もどうも少ないようである。戦災の時にはバラックやトイレがすぐ拵えられたが、そういうすべを知ってる人間が今どれだけいるだろうか…………。
【個人が苦悩する権利】
平野 ちょっと逆説的な言い方になりますが、西洋の歴史を見ていると、キリスト教が一番罪深かったのは、個人一人一人から罪に於いて苦悩する権利を奪ってしまったことだと思うんです。つまり、イエスが人類の原罪を背負って苦しむとなると、一人一人の個人的な罪の苦悩も全部磔刑図に回収されてしまって苦しめなくなってしまう。人間はもちろん、苦しみたくはないけれど、苦しめないのもまた苦しみ、というところがどうしてもある。だから、古井さんが『神秘の人びと』でとりあげられたマルティン・ブーバーの本なんかを読んでいても、中世末期の神秘家たちは、苦悩を自分に取り戻すことが、歓喜に、或いは直接、快感に結びついている。近代になって、小説というものが登場した時、ロマン主義が典型でしたけど、その主題として、やっぱり個人の苦悩が大きくせり上がってきた。書き手も読み手も、個人的な罪なり、逸脱なりを自分自身で苦しめるというのは、大きな喜びだったと思うんです。
キリスト教の場合は、問題は「罪」でした。今回の大震災では、生に纏わる偶然だとか、そういうようなことかもしれませんが、とにかく、大きな一回的な苦悩が経験されたあとで、周囲の被災してない人たち、あるいは、被災して生き残った人たちは、苦悩する権利を取り戻すのが、非常に難しくなってしまうのではないか。「自分はまだましだ。こんなことで苦しんではいけない」と、個人的な苦悩が、すべてあの一瞬の死者たちに呑み込まれてしまう。僕自身にとっても、今後、被災してない人間として、今回起きたことを「自分に引きつけて」小説の中でどう書くのかが大きな問題になってくると感じています。
古井 イエスの教えが始まった時は、人は個々に大きな運命を抱えこんでいた。それだけに、あの教えがどれだけありがたかったか。ところがキリスト教が世を支配して平和が続くと、あなたが言うようなことになる。しかしまた大災害が来て、そこでまたキリストの犠牲の意味が息を吹き返す。その繰り返しで西洋の歴史は成り立っていると思います。
ただ、第一次世界大戦以降の破壊は、そういう災害と同一視していいものなのか。生き残った人間と犠牲になった人間には物理的な壁一枚の差しかない、あまりに機械的な破壊です。 鉄砲や大砲までは、敵に狙いをつけて発するわけですから、これは槍や矢の延長線上です。 それが第一次大戦の初期、毒ガスが使 変な衝撃を与えた。で、次の戦争の時は毒ガスが主力兵器になるだろうと思われたが、実際にはそこ らなかった。毒ガスはもう必要でなくなった。 大火災を発生させれば、それで済む。 大火災こそ巨大なる毒ガスです。
空爆は敵の軍事施設や工業施設、目標を狙ってそこを攻撃するものだ、と人は思ってた。それがいつか特に目標を定めず街全体を焼いて、人の生きられない環境を作るものになってしまった。これは、神の子が人の苦悩を一身に担って磔刑についても担いきれないものではないでしょうか。
平野 信仰では苦悩を担いきれなくなって、一人一人に投げ返されるわけですが、それを今度は、大量の死者が没収してしまうのではないか、ということを考えたんです。
古井 ドイツの19世紀に、若い頃ちょっとした偶然のために許婚者と離れて、そのまま一生を送ってしまった老婆が、「近頃は神様がくださる運命の割り当てもすっかりつましくなってしまいました」と感慨にふける小説がありました。この時代からしてすでに、運命の全体量を人口で割れば意外と少ないという感覚があったのでしょう。
さらに近代化が進むと、個人の苦悩もどこかで集合的なものと通底しないと成り立たなくなってくる。ハイデッガーの「世界内存在」も同様の意味だと思うんだけど、個別の苦悩の量は、せいぜい恨みつらみ、肉体的なことで、たかがしれている。それがどこかで集合的なもの、極端に言えば無数の死者たちと通底して、本来の苦悩が出てくる。そうじゃなければ、実は文学の言葉は成り立たないんです。
平野 端的なのは恋愛で、当人がどれほど身悶えするほど苦しんでいても、プライベートな苦悩に閉じている限りは、どうでもいい話になってしまう。だから、どこかで一般論に飛躍しないと、と思うんだけど、人も多様化してるから、共通の苦悩はどこに出口があるのかとも思う。
古井 個人的な苦悩だとしても、どれぐらい個人のものではない根っこを引いてるかというところにかかってくるのでしょう。
平野 被災した死者に比べればと、自らの苦悩を抑圧するのではなく、むしろその繋がりを確かめることで、苦悩を諦めなくて済む、ということでしょうか。「鬱状態に留まる」というのは、そういう意味もありそうですね。他方で、苦悩には排他性もあります。例えば死というのは、自分の死か、知り合いの死か、赤の他人の死か、三種類しかないと思うんです。自分の死は恐い、知り合いの死は悲しい、赤の他人の死はどうか。被災しなかった人間は、本当のところ赤の他人の死を、そんなに悲しめるのかどうか。
古井 悲しむより恐れる、怯えるということが先に立たなくてはいけない。どれぐらい死者と通じるか。結局、今の世の中では生きることはむごいという感覚が失われたのが問題なのでしょう。
平野 ええ。仏教の一切皆苦もキリスト教の現世否定も、なかなかピンと来ないですからね。
古井 しかし、昔から厄災の三つの代表として、戦と飢えと疫病といわれてるでしょう? 現代において、またその限界が来つつあるんじゃないでしょうか。だから根源的な恐怖にいつさらされるかわからないという予感がする。文学の言葉はそういうふうにして作るしかないと感じてます。
【be dead とはどういうことか】
平野 僕はずっと古井さんの死の描き方に興味がありました。 よく生死の境界を曖昧にして、という批評が出ますが、そういう読み方ではもう一つ自分の中でつかみ損ねるものがあった。この前、中世の神秘主義者マイスター・エックハルトが「イエス」と「神」と「神性」を分けて議論するのをヒントに思いついたんですが、古井さんの作品では、「死者」と「死」と、造語ですがいわば「死性」が区別されていて、さらに合わせ鏡のように「生者」と「生」と「生性」が考えられているのではないか。エックハルトは、神性を、神が消滅するような、一なる無、一なる永遠のように語りますが、死性の中で個別の死が消滅する、ということはイメージ出来るんです。 古井さんの小説の登場人物が生者だけど死性を帯びていたり、死者だけど生性を帯びていたり、というのを、僕はそういうふうに考えてみてました。
古井 エックハルトは、時代の下った僕のような異教徒でも、恐ろしいこと言う人だとハラハラして読みました。神のなくなる境まで行かないと神性は見出せないという。あのラディカルさには何か具体的な体験があるんでしょう。
で、われわれもそういう考えに傾きやすい。死と死性に分ける。死性に基づいて物を考える。だけど、この〜性というのは時代が経つにつれて体験的な基盤から離れてきて、抽象的な方法論になってしまいやすいものです。そうなると、ハルトが神より神性を大事とするその実存的基盤は何か。人の言う神にただ頼ったほうが楽なんじゃないか、という問いもまたうまれる。
平野 ひょっとするとハイデッガーが言う「存在」と「現存在」というのも、「神性」と「神」の問題に近いんじゃないかなと思うんですけど。
古井 僕もそう思います。
平野 古井さんの小説では、生の時間や四方八方から流れてくる言葉が人間を貫いているんですが、その澱みたいなものが段々たまってきて、仕草なり姿勢なりが真っ当でなくなってくる。そこに目を凝らす時に、死性が立ち現れてくる。 死には時間性、個別性がありますので、死性を区別することで、そういう読み方が出来るんじゃないかと。
古井 小説は時間のないところに一度目を移さないと時間性を展開できないところがあります。死も死性というところまで持っていかないと展開できない。文章を書き悩むのは、そういうことへのこだわりだと思うんですよ。文学の言葉は、おのずから実存性を要求する。 実際のことだけを書こうとすると、言葉が逆らうでしょう。
平野 古井さんの小説では、多くの死者の中に今の自分の生があるという書き方がよくされてますし、大江健三郎さんの『芽むしり仔撃ち』にも「《死》は僕にとって百年後の自分の不在、幾百年、限りなく遠い未来の自分の不在ということだった。」とあります。
確かに、時間感覚の中にこそ死の恐怖があるというのは、すごくよくわかるんです。意識も何もなくなったあと、時間だけが永遠に経ってる状態は想像すると怖い。もちろんその時に自分自身の意識がないのはわかってるんだけど、「死に続ける」というように、「死」はどうしても時間性を帯びてしまう。時間性を付与したくなるというか。
古井 自分の死についてどうしても考えにくいことがあるんです。 die はまだしも考えられる。 だが be dead とはどういうことなのか。 be dead というのは、もはや私のことでなく、生き残った人たちの、私に関する言葉なのか。それとも、人は生前から be dead という状態にもあるのではないかという方向から僕は探ってるんです。
平野 僕が先ほど言いたかったのもそういうことです。be がそもそもの存在で、それが dead の状態であるということ。それが、生者が死性を帯びる、という表現になるのか。
小説は一体どうやって終わるのがいいのかという話に戻るのですが、振り返ると、僕が好んで読んできた多くの近代文学では、最後、主人公が死ぬんです。そこに何かある種のカタルシスを自分も感じていたのは確かなのですが、現代においてもその終わり方がありうるのかどうか。
で、結局、生と死、生者と死者という二元論の中で考えてるから、生きてる主人公は最後は死ぬという結末にしかならないのかなと考えていた時に、古井さんの作品に、生者の死性、死者の生性という可能性が開かれているように感じたんです。
古井 無数の現に生きてる人間に関しても、顔も名前も存在も知らなければ、私が dead に等しいわけです。知らない私こそ、そのかぎり、いよいよ dead である。 逆に死者が生者より、ときには私よりも存在として強くなるということもあるでしょう。そういうところから掘り起こしていきたいという思いはあります。
小説で主人公を最後に死なせるというのは、伝統的なことなんです。悲劇は主人公の生贄の儀であり、ポリス全体の贖罪の儀であるから、主人公が破滅してこそ終わるのでしょう。年代記的な小説も死で完結せざるをえない。でも現在、悲劇や年代記の構造も失せた時に、最後に主人公を死なせるというのはちょっと虚しいところがあるでしょう?
平野 キリスト教の福音書と、プラトンの『ソクラテスの弁明』は、どちらもある共同体に対してアンチテーゼを唱えた人間を共同体が殺したと、生き残った人間たちが、彼を主人公にして、弁護するために書いたものですよね。そういう言葉の構え方がはっきりしている。
近代文学も、主人公の死を共感を込めて描いてブルジョワ社会を批判するものとして成立したんでしょうけど、今は社会自体がもっと遥かに複雑だし、小説の中の非業の死に読者がカタルシスを得ない。そこがこの数年ずっと、小説が終わりに近づくといつも考え込んでしまうところなんです。
古井 古代から近世まで、共同体意識が強かった時には、共同体のために主人公を屠るという形が文学の主流だったわけです。ところが、時代が進むにつれて個人として個人のために書くのが基本的な小説の形になると、そのテーマは失われるんですよ。だから、まったく踏まえ所のないところでやっていくよりほかにない。
それでもカフカですら主人公は最後に死ぬ。主人公が滅びなくてはいけない所以を幾重にも書いてる。
平野 ただ、カフカを先ほどのプラトンや福音書と比べると、ソクラ スにしろイエスにしろ、共同体の拒絶にあって滅びたんだけど、より大きな世界観はこちらにあると、弟子は愛と怒りを込めて語るわけですね。それに比べると、カフカでは、そもそも何を理とするべきか、死んだほうの勝利というのは何なのか、と問いのかたちが変わっている。
古井 世界の広がり方が、急速で大きすぎるんです。すべてが変わってしまうから、何のための勝利かわからない。何に殉じての敗北になるのかもわからない。カフカの「訴訟」と「城」はヨーロッパ世界の、「法」の、長い歴史を、ユダヤ人なればこそ、踏まえた作品です。「法」の不条理を「理解」できなかったばかりに、主人公は滅びる。小説ながら、最後の悲劇だと思います。しかし著者は亡くなる直前に、自分の作品を否定するようなことを言い遺している。何のための犠牲か、何の甦りのあってのことか、ということではないでしょうか。
平野 僕は『決壊』という小説の最後で主人公が死ぬ手前で筆を置いたんですけど、死んだようにも読めるんです。で、ニヒリズムの中で死んでいくという決着に、読者から耐えられないという声がものすごくあがったんです。では、どうやって生きさせればいいんだということを、コミュニケーションの問題からしばらく考えていたあとで震災が来て、改めて実存的なところから掘り返さないといけないと感じています。
古井 言葉がそれを要求するところもありますよね。
平野 今回の震災のことを書くとしても、第二次世界大戦の時と大きく違うのは、ルポルタージュがほとんど不可能だということです。被災者の報告や映像は膨大にあって、単なる証言としての文学にはもう意味がない。読者自体も、東と西とで、小説の読み方がかなり違うでしょう。そういう経験は、初めてのことです。
【小説を誘導する前奏曲】
平野 古井さんの作品を読んでていつも着目するのは、何十年かぶりに友人と再会して、親しかったがゆえに言葉が出かねる、以前反復して踏みしめられてる関係をまた踏まえてしゃべっていいのかためらいがある、というような描写です。
古井 持続の擬制と言ったらいいのか、日常を成立させるためにはやむを得ないものですよね。だけど、文学にはどうしてもそれを壊す要素があるんですよ。文学嫌いの人がいるのも無理はない。
平野 10年代になって、今は持続の擬制自体が破壊されて、持続の世界に復帰したいという思いが切実にある中で、文学は何を描くのか。
古井 文学者がそれぞれなりに、はじめに何があったかというのを見出してくことじゃないかしら。解体の果てに出てくる何かを予感させるような作品を書いていくよりほかないんじゃないかと思ってます。はじめに何ありきなんて言うのは僭越の限りだけれど、文学は従事してる人間にそれを要求するんですよ。文学の婢女になるとしたら、それより仕様がない。
平野 古井さんは小説を書き始める前に、最終的にたどり着くところって漠然と見えてるんですか。
古井 ほとんどないです。 随筆の場合ですらない。どこ行くかはわからないですね。
平野 登場人物のひと揃いぐらいは最初に準備されてるんですか。
古井 とも限りません。ナレーションのトーンからでしょうかね。そのトーンが生んでくるものがあるんです。それを整えるまで、まだ小説の構想はないも同然です。
平野 書き終わったあと、もう一回俯瞰してそれを整理し直すということもされませんよね。
古井 何度小説を書いても、終わりが始まりになったな、と思うんです。幕開けのお囃子だけあって、いつまでもお囃子が続いて、役者が登場しない芝居の始まりだけ書いた気がするんですよ。
平野 だから古井さんの小説は必然的に連作という形式になってくるんでしょうか。
古井 僕の書いているのは、小説というものを誘導する前奏曲、とぐらいに考えています。書いているといろんなモティーフが入ってしまうでしょってしまうでしょ。
平野 ええ。一つのことを書こうとして一つの作品が出来上がるというようには対応しない。何か問題を扱うたびに、扱うべき問題がすっと広がっていく感じがあるから、それを踏まえないと手抜かりになる。そうするとどんどん膨大になってしまい、どこで切り上げるかが問題になる。
古井 膨大になるか、内側にもう果てしもなく切り込んでいくかどちらかになるんですよね。時々思うんです、誰か優れた作家が出てきて、僕の作品読んで、「俺が小説にしてやる」って言ってく ないかって(笑)。
(『新潮』2011年10月号)
●古井由吉
作家。1937年生まれ。 「杳子」で芥川賞、『栖』で日本文学大賞、『槿』で谷崎潤一郎賞、 「中山坂」で川端康成文学賞、『仮往生伝試文』で読売文学賞、 『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。他に『山躁賊』『野川』など著書多数。