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平野啓一郎が語る吉本ばなな『キッチン』【文学の森ダイジェスト】

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】

2024年4月は、吉本ばななさんのデビュー作『キッチン』をテーマにライブ配信を行いました。

▶︎人間の孤独を軽快に表現し、世界で評価された名作
▶︎キッチン(台所)に込められた「女性の開放」
▶︎「死者との分人」が変化していく物語
▶︎小説は「自己表現」ではなく、「共感する他者」を書く
▶︎小説家志望者への3つのアドバイス


人間の孤独を軽快に表現し、世界で評価された名作

 

平野啓一郎(以下、平野):吉本ばななさんの『キッチン』は世界で最も評価されている日本の現代文学のひとつで、ヨーロッパのなかでも特にイタリアでベストセラーとなりました。僕が1998年に『日蝕』でデビューし、海外の文学シンポジウムに招待された時にも、『キッチン』がよく読まれる日本文学として挙げられていました。

『キッチン』は吉本さんが24歳の時に書かれた作品です。非常にテンポの良い口語的な文体で、「海燕文学賞」という新人賞を受賞されています。角田光代さんや小川洋子さんもその新人賞を受賞されて新しい時代の女性文学が大きな新しい流れを作っていきますが、吉本さんはその嚆矢となった作家だと思います。

主人公のみかげは、幼くして両親を失い、唯一の肉親だった祖母も亡くなり、「天涯孤独な気持ち」になるというのが冒頭です。全編にわたって「死」が描かれますが、重苦しい印象ではなくて、軽快に読み進められる。同時に、なんとも言えない寂しい気持ちにもなる。この世界に人間が生きている根本的な孤独感がジワっと喚起されるのが、素晴らしい文学的効果だと思います。世間が浮ついていたバブルの時代に、この作品が広く読まれたというコントラストも興味深いですね。

 

キッチン(台所)に込められた「女性の開放」

 

平野:この作品は「私がこの世でいちば好きな場所は台所だと思う」という文章から始まり、なぜ好きなのかということが書かれます。こういうのはやっぱり、センスですよね。身内の死や、そこからの回復を、ただ出来事として書くのではなくて、「キッチン」という空間を中心に書いていく。これは非常に技術的な書き方だと思います。

人間の生死と孤独がテーマですから、もしタイトルをつけるとしたら、たとえば『喪失』でもいいし、「居場所」というニュアンスを表したいなら、『ソファー』や『リビング』でもいいかもしれない。ですが『キッチン』としたのには、この物語では「食べる」という行為が人間関係において重要な意味を持っているからで、やっぱり『キッチン』しかないと思わされます。

また、漢字の「台所」ではなく、カタカタの「キッチン」であることにも意味があると思います。女性が家族という形態に埋め込まれて、「台所」が唯一の居場所とすると、古い時代の主婦の心象風景を描くような小説のイメージになってしまいます。それに対してこの作品では、家族がそもそもいないという出発点から始まり、疑似家族という人間関係の中で生きていくときに、「キッチン」という居場所に落ち着いていく。「女性」と「台所」との古い意味での結びつきから解放されて、もっと主体的に、自由にいられる場所という響きになっていますよね。

 

「死者との分人」が変化していく物語

 

「神様どうか生きていけますように」(『キッチン』角川文庫p51)
「神様なんていないのかしら」(『キッチン2』p119)

平野:作品の中盤と終盤に、呼応するように書かれている言葉です。『キッチン』を読んでいると、この世界には救いがないように感じます。宗教だとか、社会的な制度だとか、外在的な救いは準備されていない。しかし、主人公は「雄一」という青年と出会い、関係を築いていく。ギリギリのところで踏み留まって、最終的には人間同士の関係性を通じて精神的な救いに至るという物語になっています。印象的な言葉がいくつも出てきますが、登場人物同士のコミュニケーションにこそ救いがあるこの作品において、重要な機能を果たしていると思います。

僕の「分人主義」に当てはめて考えると、大切な人が亡くなった時、「死者との分人」が自分の中で比率が大きいと、「あの人と一緒にいる自分をもう生きられない」という非常に大きな喪失感に襲われます。『キッチン』のみかげも、祖母や、えり子さん(雄一の母)の前での自分をもう生きることはできない喪失感を感じています。しかし、雄一との関係が深まるにつれて、生きている人間との分人の比率が大きくなる。死者との分人の比率は決してなくならないけど、少しずつ小さくなっていく。それが、「分人主義」という観点で見た時の「喪の作業」であり、グリーフケアです。

 

小説は「自己表現」ではなく、「共感する他者」を書く

 

平野:この作品には最初から最後まで、難しい言葉は出てきません。あくまで平易な言葉を使いながら、日常生活からこぼれ落ちているような微妙な感情を表現し、孤独感を喚起しています。一見、”よくある”表現だけど、この文脈にあるからこそ発揮される効果があり、伝わってくる空気感がある。こういうやり方で、難しい言葉を使わなくても複雑な感情を伝えられるということに、励まされた人たちも多いのではないでしょうか。

それから、「客観性」ということも重要なポイントだと思います。この小説は一人称で書かれていますが、吉本さんは決して、自分の感情を投影する人物として主人公を造形していない。「私の気持ちを見て!」というのではなく、非常に注意深く、読者の意識が筆者ではなく登場人物に向くように書かれています。

もちろん、作者は自分の関心ある主題でないと書けませんし、自分と全く関係のない人物については書く気が起きません。ただ、「自己表現」になってしまうと、読者がうんざりしてしまいます。そういう意味では、「共感できる心情を抱えた他者を書く」くらいの距離感を持つことが重要なのかもしれません。

(構成・ライター:水上 純)

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