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〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎×アンナ・ツィマ——『シブヤで目覚めて』を語る

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】では、3か月ごとに「深める文学作品1冊」をテーマとして定めています。

2月クールの「深める文学作品」は、アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』。プラハにいながら、日本を愛するあまり渋谷に「分身」が生じてしまった主人公を描いた『シブヤで目覚めて』が、チェコで文学賞を総なめにするなど大きな反響を呼びました。

今回は、著者のアンナ・ツィマをゲストにお招きし、作品の創作過程や日本文学からの影響について伺いました。

今回の内容は…

▶︎日本を舞台にした異色の小説『シブヤで目覚めて』とは?
▶︎「遠い国への憧れ」がテーマに
▶︎影響を受けた日本文学の作品は?
▶︎読者のレビューをどこまで見る?


                

日本は、生活文化に文学が根付いている素敵な国

平野啓一郎(以下、平野):デビュー作『シブヤで目覚めて』がチェコ最大の文学賞、マグネジア・リテア新人賞など数々の賞を受賞されましたね。

アンナ・ツィマ(以下、ツィマ):私の父が脚本家で、書いている姿をずっと見てきたので、小さい頃からものを書くということに憧れがずっとありました。父から「短編からまず書くといい」とアドバイスをもらって、いくつか短編を書きましたが、どうしても長編を書きたくて、大学在学中の日記を元にこの作品を書き、出版社に送りました。

平野:日本語の学習のプロセスがすごくリアルでしたが、経験が反映されているんですね。デビューのお話も興味深いですね。アンナさんと同じく僕も原稿を出版社に送りました。日本では新人賞に送るのが一般的ですが、チェコもそうですか?

ツィマ:チェコでは文芸雑誌の新人賞という手段がなくて、小説を書いたら、直接出版社に送ります。日本のようにたくさんの文芸誌はなく、発表の場が限られています。日本は文学が受け入れられるキャパシティが大きいと思います。

平野:ちなみに、チェコで日本文学の翻訳が出るようになったのはいつぐらいですか?

ツィマ:社会主義時代には、日本の推理小説や純文学が翻訳されており、なかでも政治的にふさわしいプロレタリア文学が翻訳されることが多かったです。大江健三郎や三島由紀夫の代表的な作品がないこともありました。谷崎潤一郎の作品はロシア人の描写など思想的なものが検閲されて削除されています。現在、出版社によって、修正版をだしているところもあれば、そのままの版もあります。最近は川上未映子など日本の女性作家の翻訳が多いですね。

シブヤへの〈想い〉が「分身」というテーマに

平野:内容に入りたいのですが、物語は渋谷とプラハを行き来し、主人公と、その〈想い〉が分裂します。現代の渋谷と大正時代の東京という時間の距離もあり、生と死の両方を行き来し、異なる世界がいくつも存在している複雑な話ですね。これは事前に構想していたのか、それとも書きながら付け加えていったのでしょうか。

ツィマ:初めは大学での日本語学習のことを中心に書いていました。17歳のときの一ヶ月間の日本体験を思い出して、ヤナが迷子になること、〈想い〉が分裂し、渋谷に〈想い〉という分身が残ることを書き始めました。原稿を送った出版社の編集者から、「もっと日本のことを書いてはどうか」と言われて、本物の日本を知らないから架空の日本を書こうと決めて、研究対象に「川下清丸」という名前をつけて、具体的にして膨らませました。私はどんどん書き換えていくタイプで、最後にはバージョン20くらいになりました。

平野:最終的にはすごく複雑な物語になりましたが、お父さんのご感想はいかがでしたか?

ツィマ:父が最後のバージョンを読んだときに、川下清丸の原稿使用料のことを心配していました。実在の人物だと思ったようです(笑)

平野:チェコの読者でも本当にいる作家だと思った人が結構いたそうですね。「文学の森」の読者にも。最後にヤナが〈想い〉と出会うという設定は、最初から構想していたのですか?

ツィマ:はい、それは運命であり、これこそが物語のテーマです。最初からこれは大事な設定として構想していました。

遠い国への憧れと閉塞感〜コロナ禍とのリンク

平野:渋谷に閉じ込められてしまった主人公の〈想い〉をはじめとして、「閉塞的な空間に閉じ込められる」という主題が様々な形で書かれていますが、チェコという国だとか、ジェンダーだとか、意識的に書いたテーマなのでしょうか。

ツィマ:意識的です。書いていた頃は、日本に行くのが大きな夢でしたが、なかなか留学が実現せず、精神的に行き詰まっていました。

平野:プラハにいるヤナの心情はよくわかるんですが、逆に〈想い〉が渋谷に居続けるという発想がすごいですよね。

ツィマ:遠い国に対する憧れがあると、人間は満足できない状態になってしまう。私の場合は、チェコにいるときには日本に行きたくて、日本にいるときは、家族がいるチェコが恋しい。どこに行っても何かが欠けている。だから、ヤナは行きたいところに行ってもいつも満たされず、同じような悩みになる悲しい運命なんですね。

平野:この本が日本で刊行されたのは、コロナ禍の真っ只中でした。家から出られないし、諦めて家で本を読んでいるときに、渋谷のスタジオの地下室に閉じ込められてる青年の話などを読むと、感情移入するところもありました。外国にしばらく行っていないから、外国に行きたいという気持ちも重なりました。ある意味では日本の読者もいいタイミングで、この本を読んだんじゃないのかなと思います。

読者からのQ&A

Q1:影響を受けた作家と作品は何ですか?

ツィマ:高校の時代や学士の頃、村上春樹が好きでよく読んでいたので、夜の渋谷の描写は、「アフターダーク」の影響を受けていると思います。また執筆中に、大江健三郎の「万延元年のフットボール」を英語で読み、「いつかこういうものを書けるようになりたい」と強く思いました。歴史や現実と神話などレイヤーが多く、とても深い、目指すべき作品だと思います。いつかチェコ語に翻訳したいとも思っています。

Q2:お二人は、作品を発表したあとに読者の声を聞いて、考えが変わることがありますか?

ツィマ:最近はインターネットの時代なので、読者の意見を直接読めますね。作家にとってはある意味、難しい時代になりました。読者にどう読まれたのか興味はあるのですが、見るか見ないか悩みます。こういうふうに書くべきだとか、変えたほうがいいという声を聞きすぎると、オリジナリティが消え、自分が書きたいものを書けなくなる気がします。これはインターネット時代の大きな問題です。

私は作品を書き終わるときには本当によく考えて、「これは書きたかったものなのか、出したいものか、これで満足できるか。」って自分に問います。決意したら、出版後にたとえ後悔しても、あのときはこれ以上いいものは書けないと思ったのでしょうがない、と自分を慰めることができます。

平野:長い目で見て十年二十年ぐらい経つと、段々考えが変化するのはある気がしますけど、書き終わってすぐに変化するというのは、僕の場合はあんまりないですね。

アンナさんと同じようにどこまで見た方がいいのかと、考えあぐねている作家は多いと思います。僕は、Amazonで自分の作品の翻訳本のレビューを見るとき、ポジティブなレビューだけに絞って見ると、「自分のことをこんなに理解してくれてる人が世界中にいる!」と思って励まされます。でも、どうしてもネガティブなレビューも目に入るので、その時は目の焦点をぼんやりさせて、しっかり読まないようにします(笑)

ツィマ:良い評価を十個もらっても、悪い評価を一つもらうと、頭に残るのはその一つなんです。

平野:そうなんですよ。人を不愉快にさせる天才的な能力持ってるような人がいるから、そういうレビューを見ると、三日ぐらいそのことが気になったり(笑)

(構成・ライティング:田村純子)

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