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〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が読者からの質問に答える──三勝四敗主義、小説の終わり方、作品のメッセージ

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】では、3か月ごとに「深める文学作品1冊」をテーマとして定めています。その作品に関し、1か月目は「平野啓一郎が語る回」、2か月目は「平野啓一郎がゲストと語る回」、3か月目は「読者と語る回」を開催します。

10月クールの「深める文学作品」は、平野啓一郎『ある男』。この記事では、12月23日に開催したライブ配信ダイジェストをお届けします。

昨年11月に映画が公開され、日本アカデミー賞最多12部門ノミネートで注目を集める本作について、原作者・平野啓一郎が読者の質問に答えました。


Q1. 自分のアイデンティティとの向き合い方

──自分の人生を両親に決定され、自己アイデンティティとの折り合いをつけるのに苦しむ人々は少なくないと思います。作品そのものが平野さんからのメッセージだと思いますが、そういう人たちにかけてあげたい言葉がありましたら教えてください。

平野啓一郎(以下、平野):「家族」という話と、「格差」という話、二つの問題があると思います。

まず「家族」というのは、うまくいっていれば、他にないような濃密な関係や時間や感情が経験され、その家族との分人は非常に大事になるかもしれません。ただ、いろんな家族の形があります。現実的には、理想的な家族像ではない、あまりうまくいってない家族の方が多いのではないか。だから、「うまくいっていればいいな」と思うくらいで、うまくいってなくても仕方ないと考えるべきだと思います。

僕もそうでしたけど、両親揃っていないとか、いろいろな家庭がありますから、べき論では語れないし、理想的な家族像を押し付けられると、自分はそうじゃないということに非常に苦しみます。本当は親と距離を置いた方がいいような人でも、親孝行をすべきだという社会通念のせいで、縁を切れなくて悩むこともあります。

様々な事情があるのに、それを悪いと決めつけるのは残酷でしょう。家族よりも学校の友人や恋人との関係の方がはるかに大事だとか、恩師みたいな人が大事だという人もいると思います。時間をおいて家族との関係が良好になればそれもいいと思いますが、そうならなくても、他の場所にいる自分の方を好きになれるのであれば、僕はそれに対して肯定的な感情を持ってほしいと思います。

一方で、「格差」の問題は、これは自己責任ではどうしようもないですから、社会、ひいては政治が解決すべき問題です。いろいろな制度がありますから、なるだけ自分ひとりで抱え込まず、相談をして自分の状況を改善し、支援してくれる先を探すことが先決だと思います。制度が複雑すぎて、ワンストップで解決できないという問題もありますが、まず自分の状況を支援先に相談することがとても大事です。

憲法学者の木村草太さんが、「『万引き家族』は非常にいい映画だけど、ケン・ローチの映画のように、まず役所に行って公的な支援を得ようとする場面がないのは何故だろう」とおっしゃっていました。苦しい状況の中で、個人で何とかしようともがく姿を描くのは、結局、自己責任論的になってしまうのではないかという見方もできます。

僕は貧困問題だけではなく、身体的あるいは精神的に問題を抱える登場人物が、病院に行く場面がないと、とても違和感を感じます。病院に行けるのに行かず、そのために周りから差別されたり、ひどい目に遭い苦しむのを延々と書き続けるのは不自然でしょう。病院に行った上で、それでも簡単に解決しない問題が描かれるのが現実的ではないか。自己責任論的に自分で解決していくべきという考えが根深く染み付いていて、助けを求めるのは恥ずかしいという意識があるのかもしれません。ですが支援活動をしてる人たちは沢山いますし、人に相談することから状態が良くなる方法を考えてほしいです。人生のある局面で、頑張れる状態のときに、そして頑張るべき時に頑張るのは大事だと思いますが、貧困問題など、個人がどう頑張っても歯が立たない問題に関しては、支援を求めるべきだし、社会がそれに対して不十分だったら、政治に対して声を上げることも大事だと思います。

 

Q2. 三勝四敗主義はどのように生まれた?

──『ある男』の登場人物である美涼が語る「三勝四敗主義」という考え方に救われて、眠れぬ夜から脱しました。城戸は「自分の中に、新しい視界が開いてゆくような一種の感銘を覚えた」とあります。平野さんは「三勝四敗主義」をどのように思いついたのでしょうか?

平野:世の中では「勝ち組負け組」などと言われて、勝ち負けを意識する場面が多くあります。ただ、分人主義の視点で考えたとき、自分が好きじゃない分人の方がはるかに多かったとしても、自分の好きな分人が一つか二つか三つあって、それが本当に居心地が良ければ、十分ではないかと思います。現実の人間関係においても、嫌なことがたくさんあるなかで、数は少なくともいいことがあると、それを幸福と感じるものではないでしょうか。 

映画では清野菜名さんが「美涼」を演じた。

整理していうと、このような思考過程なりますが、小説を書いていると、だんだん登場人物たちが自分で喋り出すんですよ。もちろん僕が思い付いて書いてはいるのですが、美涼の人物像を造形しながら、会話の中でその台詞を書こうとしている時にこそ思いつく言葉があります。僕が考え抜いてその言葉が出てきたというより、美涼が自分で発したという感じがするんです。

 

Q3. 『ある男』の"希望"である悠人について

──苦しい境遇の中、「悠人」が母や自分自身に真摯に向き合い、成長していく姿に心打たれました。作品中、悠人は希望を与えてくれる存在だと思いますが、平野さんの思いをお伺いしたいです。

平野:小説の終わり方というのは、ハッピーエンドかバッドエンドかという二者択一で考えられるものではありません。読後感というのはもっと複雑で、何人かの登場人物の終わり方の印象が総合的に読者の心の中に残るのだと思います。ドストエフスキーの『罪と罰』を読むと非常によくわかるんですが、登場人物が何人もいる中で、悲惨な終わり方の人もいれば希望のある終わり方の人もいて、それらが混ざり合って読後感が形成されています。

『ある男』の読後感を支える上で重要なのは、この少年、悠人だと思いました。読み終えたあとに希望を感じるという意味では、不遇な境遇にいる子供が、自分の力で困難を克服しようとしていて、周りもそれを見守る話にしたかったんです。

悠人は最終的に文学によって立ち直っていきますが、最初はそのような想定をしていませんでした。自分と近すぎる話を書くのもどうか思いがちなのですし、作家が文学の素晴らしさを強調するのも手前味噌かなと。

ただ、自分自身が十代のときにいろいろ思い悩んだ時、文学との出合いに救われたのはやはり大きな経験で、それは否定できないんですね。音楽やスポーツではなく、文学によって成長していく話を書くべきだと、最終的には考えました。

文学の良いところは、みんな、自発的に読み始めるんですよね。大人は教えてあげられない。自分でなんとなく手探りしてるうちに、自分にとって必要な本を見つけ出して、いろんなことを考え出すのが文学のいいところで、そういう意味でも悠人が文学によって救われるストーリーに決めました。

 

Q4. 文学が読み継がれていくには?

──映画を観たことで、かえって文学でしか表現できない面にも気づかされました。ゲームや他の娯楽がたくさんある中で、文学が読み継がれて行くには、どんなことが大切だと思われますか。

平野:先ほどの話にも繋がりますが、子供でも大人でも、文学は立派だとか読むべきだといくら周りが言ったところで、本人が読む気がなかったら読まないですよね。ゲームするより本を一冊読んで良かったと、読後にその人が自然と思うことが重要です。

音楽は短い時間で聴けるから、ちょっと聞いてみようかなという気になるかもしれませんが、本は、よほど本人が読みたいと思わないと読めないし、それが本のいいところだと思います。

強制せず、本を読みたい人だけが読む。そういう意味でいうと、好きな文学作品に出合って、また次の本を読もうと思ったり、この本がよかったという話を聞いて、読んでみたりする。そういうことが自然と繋がっていくのが本来あるべき姿だと思います。

(構成、ライティング:田村純子)


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