Japanese
English

読み物

〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎×石川慶──原作者と監督が『ある男』を語る

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】では、3か月ごとに「深める文学作品1冊」をテーマとして定めています。その作品に関し、1か月目は「平野啓一郎が語る回」、2か月目は「平野啓一郎がゲストと語る回」、3か月目は「読者と語る回」を開催します。

10月クールの「深める文学作品」は、平野啓一郎『ある男』。この記事では、11月30日に開催したライブ配信ダイジェストをお届けします。

昨年11月に映画が公開され、日本アカデミー賞最多12部門ノミネートで注目を集める本作について、製作を指揮した石川慶監督をゲストにお招きして対談を行いました。


平野啓一郎(以下、平野):本日はお忙しいところありがとうございます。ちょうど今日、報知映画賞の発表があり、映画『ある男』が作品賞を受賞ということで、おめでとうございます。

石川慶(以下、石川):ありがとうございます。本当に良かったです。スタッフも喜んでいます。

平野:原作小説は結構長いので、2時間の映画作品にするのは簡単なことではないと思います。最初に思い描いていたイメージと、最終的に出来上がったものでは、変わった部分もあったのでしょうか?

石川:シナリオが出来るまではいろいろと試行錯誤がありましたが、それからは大きくブレることはありませんでした。 シナリオを作る前に自分が書いたメモを、今日読み返して思い出したんですが、城戸を主役として、物語をどういう風にしていくのか、映画の中で城戸の内面的な変化を一体どうやって見せたらいいんだろうって、すごく悩んだんです。小説『ある男』の城戸に関しての描写を、没入して読んでいたし、絶対落としたくないと思いながらも、そのまま映像にはどうしてもできないというジレンマを抱えていました。どうやったら城戸の話になるのかを、いっぱい事前メモに書いていましたね。

そこの背骨が一本通ってしまえば、Xの中身、名前がめまぐるしく変化していくのも、ある意味エンタメとしてものすごく面白い武器になるだろうと思いながら、その背骨がないと、ただただ混乱してしまうだろうと、そこがシナリオを作る上での一番大きい課題でした。

平野:一週間前に、イスラエルの小説家であり、映画やドラマ監督でもあるウズィ・ヴァイル氏と対談したんです。彼が英語版の僕の本を読み、『ある男』もすごく気に入ってくれて、映画化されたと聞いて、「城戸の内面描写がすごく詳しいので、どういうふうに映像化したのかすごく興味がある。」と言われました。

石川:監督によってはそのままモノローグにしてしまう場合もあるだろうし、それをまた全然違うシーンにする人もいるだろうし、また第三者を登場させてそれを際立たせるという手もあると思います。おそらく誰が映画化したとしても、全然違うものになっただろうなと思うんです。

今回、脚本家の向井康介さんと一緒にやることになったので、「何か映画的な仕掛けをしたいね。」というのはずっと話してて、でもモノローグはちょっと考えられないし、大筋は変えたくないから変に他の人物を登場させるというのも嫌でした。基本的に城戸は聞き役にはなるのだけれども、聞きながらどんどん城戸の中で何かが鬱積していく、という表現をしたいと、向井さんと話しながら作っていきました。

それは『愚行録』でも映画的に試みたことなんですが、例えば城戸の最初の登場シーンでは、飛行機の騒音の中で光が眩しく窓を閉めるとか、城戸の家の近くで工事の騒音がずっと鳴り響くシーンを入れるなど、何か城戸に常にプレッシャーを与える。その一つ一つに、名前の塗り替えを象徴するようなシーンを配置していくことで、映画を見てる人の中に、段々、鬱憤のようなものが溜まっていって欲しい。そういうような方向性で、シナリオを組んでいきました。

平野:主役として妻夫木さんの顔が思い浮かんだのはどのくらいのタイミングなんですか。

石川:城戸は聞き役で狂言廻しで、下手すると聞いているだけの人になってしまう恐れがあるけど、最終的には物語の主役として中央に出てこないといけない。そういう人って誰かいる?と向井さんと話しました。空港行きのシーンのイメージが強く、そのときに妻夫木さんを思い浮かべました。妻夫木さんはすごいスターで、唯一無二の存在感があるんですけど、同時に透明になることもできる。聞き役として全然邪魔にならないけれども、その存在は忘れられない。すごく特殊な佇まいでシーンの中に居られる珍しい役者だなと思っています。

平野:妻夫木さんは文学作品が原作の映画によく出られていて、『愚行録』もそうだし、吉田修一さんの『悪人』や三島由紀夫の『春の雪』もですが、それらの作品では最終的に日常生活から逸脱してしまいますし、狂気とある種の平凡さみたいなものを隣り合わせに持ったような人間を演じられてますね。城戸の場合は、結局そこまではいかない人物なので、ある意味では逆に『愚行録』とかより存在感や強い印象を残すのが難しかったのではないかと思いました。

石川:今回は、「分人主義」ということも共有しました。各シーンに誰を相手役として置くかで、城戸が変わっていく。。笑う時には笑って欲しいし、リラックスするときにはちゃんとリラックスしてほしいとお伝えしました。そういう意味で、同僚役には小藪さんをキャスティングしたし、妻夫木さんに何日も子役と遊んで時間を共有してもらって、自然なお父さんの笑顔や城戸のキャラクターを引き出せたかなと思います。

平野:話をお伺いしていると、石川さんの場合、指揮者とコンサートマスターじゃないですけど、出演者の中でも、主人公をやる役者とは事前に他の役者よりも長くミーティングの時間をとって作っていくんですか。

石川:はい。まさにそんな感じです。自分はそんなに音楽に詳しくはないのですが、前回『蜜蜂と遠雷』を撮った時、指揮者の打ち合わせを見て、その役割と自分がやっている仕事は近いなと思いました。

指揮者は、みんなをまとめるための交渉術みたいなものが必要で、タクトをどう振るかで全然音楽が変わってくる一番大事な人。そして今回のコンサートマスターは明らかに妻夫木さんでしたね。

平野:それ以外の人とは、現場でやりながら話していくっていう感じなんですか?

石川:そうですね。映画に関してはあんまり言葉にしちゃうと、こぼれ落ちちゃうものがある気がします。ある感情を「今悲しいです」って言われると悲しいことになっちゃうけれども、本当はそんなに単純な話ではなく、もっと複雑ですよね。特に里枝とか、どういう感情で泣いているのか。悲しいから泣いているわけでもなくて、これって多分言葉にしようとすると、もう30分でも1時間でも話さないと伝わらない感じがします。それよりもむしろ前後のシーンだとか、例えば、そこで雨が降っていて、その場でカメラがこれぐらいの引きの角度で撮っていてというように、言葉でないところのコミュニケーションで、役者さんには伝わっていると思ってるんですよ。そっちの方が結果的にうまくいくことが多いなと思います。監督として自分は俯瞰して『どう見えているか』は誰よりも分かっているけれど、『どう感じているか』は、役者さんの方が深く理解しているんじゃないかと思っているので、それをこちらが説明するのは違うのかなという気がするんです。

 

参加者とのQ&A

──Q.映画があと1時間長く出来たら、加えたかったエピソードは何ですか?「ナルキッソスの話」があったらいいなと思う反面、「マルグリットの複製禁止」についてよく映像化するつもりになったなぁと自分は思いました。

石川:多分、あと1時間あっても今と大幅には変わらないだろうと思います。ただ泣く泣く落としたのは、美涼と城戸の新幹線のシーンです。結構お金をかけて新幹線のセットを作り、縦5メーター横10メーターくらいの大きなLEDパネルのスクリーンの前で二人が話しながら、大人の恋愛を感じさせるようないいシーンが撮れたんです。ただ、このシーンの前に、既に城戸と美涼のベクトルが近づいてきているのが、ほのかに伝わっていると感じたので、蛇足だと思いました。本当に役者さんが良すぎて、思ったよりも前のシーンで片がついちゃったというか。 ナルキッソスの話も確かに面白いなと思いながらも、映画においてはリズム感というのがすごく難しくて、セリフではなく視覚で一瞬でぱっと片がつき、伝えられるというのは、映画的に処理がしやすいんです。そこがセリフになってくると、いくら意味のあるものでも、停滞して次のシーンもうまくいかなくなってしまうことが多い。そういう意味で言うと、マグリットの絵だと映画的に処理ができるけれど、ナルキッソスは結構扱いが難しくなってきます。その辺の取捨選択は断腸の思いですけど、もう一度やってもその選択になると思います。

マグリットの絵は、小説『ある男』の冒頭で書かれていました。後ろ姿に城戸の姿が重なって、映画を観ている人が一瞬「自分も見ている」というふうに思える。なおかつ『ある男』は”A Man”であり ”The Man”ではないというところにすごく共鳴して、ぞくっとするいい構図だと思いました。

──Q.小見浦と対峙した時の、城戸の横顔がアップになるシーンで、表情の微細な変化がとても印象的で圧倒されました。いくつもの感情が現れては消え、また現れるあの表情は、城戸の内面を包括しているように感じました。妻夫木さんとどのようなやりとりがあってあのシーンが出来上がったのかお聞きしたいです。

石川:小見浦と城戸が「X」について話す場面が、城戸の中で「人探し」が「自分探し」に変わっていくきっかけになると思っていたので、あの場面ではリアリティは求めずに、むしろ城戸の内面世界として描きました。妻夫木さんと、どのくらい感情を出すべきかも議論しました。映画の中で役者が泣き叫ぶみたいなのは、妻夫木さんも僕も好きではなくて、むしろ感情を押し殺すような感じで何テイクか撮ったのが横顔がアップになるシーンです。

しかし、柄本さん演じる小見浦のパワーがすごく強くて、これはもう城戸が声を荒げないとバランスがおかしくなると思って、妻夫木さんに「ちょっと1回やっちゃいましょう」と追加して撮ったのが、声を荒げるシーンでした。

平野:あの場面はすごく印象的で、ちょっと原作を凌駕しているんじゃないかと感じました。あと、里枝とある男が幸せだった時代が、小説では導入くらいの短さで書いていますが、映画ではかなりしっかり描かれていたのがよかったですね。ご多忙の石川さんに今日はお越しいただいて、いろいろ質問をすることができてすごく楽しかったです。本当にいい映画に仕上げてくださってとても感謝してますし、また皆さんが観てくれてることはとても嬉しいです。

石川:今日は本当に楽しかったです。平野さんとは何回か対談させてもらってますけど、あらためてじっくりと話ができたのはすごく嬉しかったです。映画は公開してますけれども、今だけじゃなくて5年後10年後も皆さんに観てもらえているといいなと思います。『本心』もすごく面白かったので、誰が映画にするのかなと思っているんですけど、将来的にまた平野さんの小説を映画化する機会をいただけたら、ぜひお受けしたいなと思っています。

(構成・ライティング:田村純子)


平野啓一郎の原作小説『ある男』、無料試し読みはこちらから

公式LINEアカウントはこちら