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〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が語る瀬戸内寂聴の文学的主体と仏教・政治との関わり──『夏の終り』を読む

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル文学の森では、3か月ごとに「深める文学作品1冊」をテーマとして定めています。その作品に関し、1か月目は「平野啓一郎が語る回」、2か月目は「平野啓一郎がゲストと語る回」、3か月目は「読者と語る回」を開催します。

1月クールの「深める文学作品」は、瀬戸内寂聴『夏の終り』。
この記事では、1月28日に開催したライブ配信「平野啓一郎が『夏の終り』を語る回」のダイジェストをお届けします。


【瀬戸内寂聴さんとの出会いと思い出】

──昨年、思いがけない訃報を受け、追悼の意を込めて瀬戸内寂聴さん『夏の終り』をテーマ作として扱うことになりました。長年にわたって深い親交のあった平野さんですが、まずは瀬戸内さんとの出会いや個人的な思い出をお話しいただけますでしょうか。

平野啓一郎(以下:平野):昨年、瀬戸内寂聴さんの突然のご逝去(2021年11月9日)を受け、追悼文を書きながら悲しみと共に過ごしました。関係者が誰一人として、100歳まで生きることを信じて疑わず、瀬戸内さんの作品の全集の続編を、100歳の誕生年の記念として刊行していくはずでした。

 1999年、僕のデビュー作『日蝕』(芥川賞受賞)を瀬戸内さんが高く評価してくださっていると人づてに耳にしていました。ミレニアム(2000年)に向けた新聞企画の鼎談で、寂庵で初めてお目にかかって以来、いつも楽しくお話しさせていただきました。デビューから数年は京都に住んでいたこともあって、季節ごとに、祇園の美味しいお店に連れて行っていただいたり、結婚後も家族と共に寂庵を訪問したりと、お会いする機会がよくありました。ちょうど瀬戸内さんの全集が刊行され始めた時期で、刊行される度に、お礼と感想文を書いて送りました。

 『田村俊子』や『美は乱調にあり』など「青踏」周辺の女性作家の評伝ものが、全集の初めの方に収められ、日本文学史に於ける「女流作家」の系譜を発見することになりました。瀬戸内さんは女流文学会に所属されていて、宇野千代さんや円地文子さんなどとの交流もあり、瀬戸内さんが語る「女流作家」の実像を通じて女性作家の歴史にアクセスすることができたことは、僕にとって大変貴重な経験となりました。

 瀬戸内さんはご自身でフェミニストと自称されたことはおそらくないと思いますが、瀬戸内さんご自身の経験や作品解釈は、フェミニズムの視点で議論されるべき問題がたくさんあると思います。それは、今回の「文学の森」で読む『夏の終り』にも関わってくる視点だと思います。

 瀬戸内さんは、僕の祖母の3歳年下という年齢で、そのコミュニケーションの巧みさから多くの方々との交流があり、会話が非常に楽しくて惹き込まれるような魅力的な文学者でした。僕の作品をいつも読んでくださり、過分なお褒めの言葉をいただいたり、励ましてくださっていたので、瀬戸内さんが亡くなって、自分のデビュー以来のひとつの幸福な時代、幸福な関係が終わったのだという一抹の寂しさを感じます。

 

 

【瀬戸内寂聴の文学的主体ーフェミニズムの視点から】

──平野さんにとって瀬戸内さんは唯一の存在であったことがよく伝わってきます。『夏の終り』を読んでいくにあたり、まずは、この作品がどのような文脈で書かれたのか、瀬戸内さんの人生から振り返りましょうか?

平野:瀬戸内さんは1922年に徳島で生まれ、当時、地方では女子の進学が珍しかった時代に、東京女子大学に進学、在学中にお見合い結婚をされています。飯田橋文学会の「現代作家アーカイヴ」(作家を一人ゲストとして招待し、創作活動の通史を概説するプロジェクト)に、僕が瀬戸内さんにインタヴューした動画があり、瀬戸内さんの人生や作家としてのこれまでの歩みについてご覧になっていただけます。第二次世界大戦中、夫と共に北京へ行き、1946年に内地へ引き揚げてくるのですが、その頃に涼太のモデルとなる男性と出会い、プラトニックな恋愛関係に陥ったことや、小説家になるという強い志を持ったことがきっかけで、子供を置いて家を飛び出します。

 京都で自活しながら、1957年には『女子大生・曲愛玲』で新潮同人雑誌賞を受賞しました。まだ家父長制度が根強く残っている日本社会で、男性が抱く理想の女性像を根底から覆すような、性に奔放な女性を描いた『花芯』を発表。『花芯』の衝撃的な終わりの部分を引用します。

「こんな私にも、人しれぬ怕れがたったひとつのこっている。私が死んで焼かれたあと、白いかぼそい骨のかげに、私の子宮だけが、ぶすぶすと悪臭を放ち、焼けのこるのではあるまいか。」

私小説だと誤解され、非常に差別的な批評を被って、5年間文壇から干されました。文壇の女性差別の一つの汚点となる歴史だと思います。今のフェミニズム運動の再びの盛り上がりの中で、この時期の作品はあらためて論じ直されるべきではないかと思います。

 瀬戸内さんは自分が誤解されたことに対して大変傷つきました。同時に、政治運動に積極的だった作家・田村俊子が非常に誤解されていることに思うところがあり、「誤解されるという事は一体何であるかを文学的主題としたい」ということで『田村俊子』について書き始めました。それがその後の青踏の女性作家たちに関心を持っていく発端となりました。晩年まで、社会でバッシングされた人たちに手を差し伸べた瀬戸内さんの原点はここにあるのでしょう。

 『花芯』は瀬戸内さん自身ではないという強い思いがあり、『夏の終り』を上梓します。この作品こそが、瀬戸内さんの私小説です。自然主義文学以降、田山花袋『布団』から、志賀直哉『暗夜行路』まで、性的フェティシズムや複数の女性と関係を持っているものも、男性が書くと文学として非常に高く評価されてきたのに対して、女性作家というだけで、差別的で扱いを受けました。瀬戸内さんはそれに対して不服だったと思います。自分はどういう人間であるのか、というのを『夏の終り』で示したかったのだと思います。

 

【魂の救済としての仏教と政治活動に至る軌跡】

──瀬戸内さんは51歳で出家され、後半生を僧侶として過ごされることになります。瀬戸内文学において、「仏教」というのはどのような意味があったと、平野さんはお考えでしょうか。

平野:日本の古典文学の中で表現されてきたのは「愛欲」の世界でした。明治時代にはLoveの翻訳として「恋愛」という観念が日本に浸透していきます。日本の近代文学の作家たちは非常に戸惑いました。「恋愛とは一体何なのか?」北村透谷は、恋愛は古典文学にあった愛欲とは違い、崇高なものだと論じて新鮮な驚きを与えました。

 仏教では恋愛は愛欲であり、出家して断たねばならぬのも愛欲なんです。瀬戸内さんの文学は、そういう意味では後の出家を予告するように、日本の伝統的な文学の中にある愛欲の世界と通じるものがあります。自分ではどうしても制御できない、相手に対する欲望を貫こうとすると、どうしても社会的な常識や制度とぶつかってしまう。その社会の枠組みに翻弄される女性を、『女子大生・曲愛玲』や『花芯』『夏の終り』の中で描いています。

 一方で『田村俊子』に着手し、その後も作品を書いていく中で、社会の常識や制度を、政治の問題として捉え直すという発想に至ります。ご自身が第二次大戦時に背負わされた運命も、政治の問題であるという見解に到達しました。それに対して自身の欲望を表現する手段として文学があり、ある種の二項対立的な発想を、『美は乱調にあり』『階調は偽りなり』を書き進めていく中で、瀬戸内さんの中で整理されたのだと思います。

 瀬戸内さんは実際、自分の思いのままに自由に生きた方だとは思うのですが、やはり自分の抱えてた生きづらさや苦しさをどうしたらいいのかと根本的に悩みながら、政治や宗教にその出口を求め、様々に考えて行動されています。個人が救済されるときに、政治を通じて世の中の制度や常識が変化しなければならないという思いが一つと、もう一つは、政治とは別の次元の魂の救済の問題を、瀬戸内さんの場合は仏教に道を求めたのだと思います。それが瀬戸内さんの文学の全体像だと僕は見ています。

 出家後は『西行』や『源氏物語』などの日本文学の歴史的なパースペクティブの中でその問題を見つめ直すことを、晩年の仕事のテーマとして取り組みました。それが憲法九条改正に対する反対デモのような具体的で政治的なアクションに繋がり、仏教者としての説法や法話などの社会的な活動にも通じていると思います。後から振り返ると、非常に整然として説得力のある歩みをしてるんですね。

 瀬戸内さんのそういった思想を形づくる上で、根源的な体験になった恋愛関係の一つが、『夏の終り』に描かれている恋愛なんですね。ある意味重要な通過点なんです。

 

【『夏の終り』を読む】

『夏の終り』は昭和41年に出版された瀬戸内さんの代表作で、僕の手元に最新としてあるのは104刷で、『源氏物語』現代語訳の次に一番売れた本であり、映画化もされています。主人公・知子は、作家ではなく染色家という設定になってます。

 文庫(新潮文庫)では連作短編集のような形にまとめられていて、その表題作として『夏の終り』があります。最後の作品『雉子』だけ、登場人物の名前は「牧子」、設定も小説家で、内容も自分が置いてきた娘を主題にしていて毛色が違います。

 これはご本人に伺ったことがあるのですが、『雉子』はどうしても書かなければならなかったとおっしゃっていました。実際には、瀬戸内さんも娘さんと和解され晩年も交流がありましたが、置いてきたことに対して、亡くなるまで罪悪感をずっと抱きつづけていました。家を出て一年ほどして娘さんに会いにいったら、「お母さんは死んじゃったの」と言われて、引き返してきたそうで、そのことが作品に書かれています。

 知子が付き合う妻子ある小説家・慎吾は、小田仁二郎がモデルで『奇縁まんだら』シリーズにも書かれています。瀬戸内さんが文壇から干されてしまったどん底時代に出会っており、作品を読んでいると、二人とも抑うつ的で、死が二人を結びつけているように読み取れます。慎吾は年長者であり教え導く存在でありながらも、知子は慎吾の自殺を予感し心配する。一方で若い涼太も放っておけない男性です。ちなみに『眉山』という作品の中で、涼太のモデルの男性が、後に会社経営に失敗して自殺するという顛末を描いています。

 放っておけない男性二人を一方的に面倒を見ているわけでもなく、自分もその二人に依存しながら、相手からも依存される独特な三角関係を描いている作品です。浮世の中でどうしようもなく苦しんでいる人を書くときには、釈迦や偉人を書くときよりも瀬戸内さんの筆が冴える感じがします。人間の情愛や単純に割り切れない人間同士の関係などを書くのが、瀬戸内さんは非常にうまい。慎吾の妻に対してなんとなく変な共感の気持ちを持っていたり、電話で笑い合ってしまったりなどは、瀬戸内さんのキャラクターによるところも大きいのかもしれません。

 小説で描かれているように、瀬戸内さんが出た家に小田仁二郎の家族は引っ越しています。後に不倫関係となった井上光晴の奥さんとも仲良くなっていますからね。普通に考えるとおかしいのですが、正直に描いているから、簡単には割り切れない人間の心理がよく立ち現れてくるのだと思います。

 文章は繊細で心情を細やかに書き表していますし、人物の風貌も特徴を捉えて非常に印象的に描き出しています。たとえば奥さんの前歯が欠けていて、そこに歯をつぐ時のねじ釘みたいなものが突き出ていて、そこまで治療したがその後ができない。そういう特徴を瞬時に捉えて描いているので、後まで印象に残ります。瀬戸内さんがよく話してくださった、知り合いの作家の話は、髪型や服装まで細やかに表現され、それぞれの作家の逸話がその後も心に残っています。それも瀬戸内さんの人物描写の巧みさからくるものでしょう。

 その一つとして、瀬戸内さんの比喩表現で面白いものがあります。「涼太は急に軀をおこすと、ふとんの上にあぐらをかいて坐り、一角獣でも見るような気味悪そうな冷やかな目つきで斜めに知子を見おろした。」という表現ですが、一角獣は誰も見たことがないはずなのに、何故か非常によくわかる、ユーモラスな見事な一文です。

 瀬戸内さんは、その仏教者としての社会的活動から、文学者としては過小評価されてきましたが、文学史上の女性作家を掘り起こした功績も讃えられるべきですし、文学者として、もっと高く評価されるべき作家だと思います。

(編集・ライティング:田村純子)


【平野啓一郎の文学の森】

1月〜3月は、瀬戸内寂聴さんの原点となった私小説集『夏の終り』(新潮文庫) をじっくり読み解いていきます。

1月の配信に間に合わなかった方も、ご入会後はアーカイヴ動画をご覧いただけます。そして3月のライヴ配信は「読者と語る会」ということで、小説執筆の裏話や近況のことなど、テーマ作の枠を超えた質疑応答、雑談をお楽しみいただけます! 小説家の案内で、古今東西の文学が生い茂る大きな森を散策する楽しさを体験してみませんか?ご参加をお待ちしております。

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