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〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が『本心』を菅実花さんと語る ─ 新聞連載・挿絵作家と語る創作秘話

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル文学の森 にて、ライブ配信「平野啓一郎がゲストと語る回」を5月28日に開催しました。
ゲストとして来ていただいたのは、最新作本心の新聞挿絵を担当された、美術作家・菅美花さん。この記事では、そのダイジェストをお届けします。

平野啓一郎 + 菅実花 + 司会:佐々木咲


       

【挿絵をお願いしたきっかけ】

── そもそも『本心』の新聞挿絵を菅さんにお願いすることになったきっかけをご紹介したいと思います。『本心』の連載が2019年の9月からで、年初に挿絵画家を探していたところでした。ちょうど平野さんがVRやAIの取材をされながら、家族や個人のあり方とは何だろうと、作品の構想を練っている段階だったと思います。

  すこし遡りますが、2016年当時、菅実花さんが『ラブドールは胎児の夢を見るか』という作品を発表されていました。平野さんがNewspicksで菅さんの作品をピックされていたことに注目し、両者の作品の類似性に注目しました。「現実と虚構」この違いの有無やその間のゆらぎの存在、またその違いを考えることに有効性はあるのか、などお二人の作品に類似性を感じ、お二人に顔合わせをしていただいた上で、菅さんに挿絵を担当していただくことになりました。

      

【「ラブドールは胎児の夢を見るか?」】

──まず、菅さんよりご自身の作品をご紹介していただきたいと思います。 

菅実花さん(以下「菅」):簡単にご紹介しますので詳しいことはWEBサイトをご覧になっていただければと思います。

 

《The Future Mother 09,06,07》(東京藝術大学 大学美術館)

 これは第64回東京藝術大学卒業修了作品展で発表した「ラブドールは胎児の夢を見るか?」というシリーズのうち最初に発表した作品です。Twitterで平野さんにリツリートといいねをいただき、嬉しかったのを思い出します。シリコン製のラブドールの腹部を切開して膨らませ、それをマタニティーフォトの形式で写真に撮りました。

《Pre-alive Photography 08》
(原爆の図丸木美術館)

 この作品は連載が始まる直前の6月から7月かけて、埼玉県にある原爆の図丸木美術館での個展で発表したうちの一枚です。鑑賞者は、原爆の図を十数点見た後に、私の展示をご覧になります。丸木位里・俊の《原爆の図》は、1945年に広島に落とされた原子爆弾による被害が主題で、主に子供や女性が被害を受けている絵が中心となっているのですが、戦争でなくなった人の思いに心を馳せ、私が今できることは何かを考えました。

 まず赤ちゃんを写真に撮るという文化なのですが、19世紀ごろ欧米や南アフリカで死後記念写真というものがありました。疫病が流行していたため赤ん坊の死が多く、唯一の存在の証として写真を撮って残したのです。写真をとること自体が高価で、当時は写真の露光時間も長いので、じっとしていられない赤ちゃんを撮るのが難しかったため死後記念写真を撮ったのです。この文化も1910年代で終焉を迎えます。

         

【人形で魂を表現する】

 


 私が写真の被写体として使用したリボーンドールは、乳幼児の姿をしたリアルなソフトビニル製の人形です。もともとは人形コレクターが購入するものだったものが、お子さんを亡くされたり、不妊治療をしたけれど授からなかったという方が購入することが増えた人形です。この世にいないお子さんに対して、全然違うコンテクストにある人形と写真とに類似性を感じましたし、この2つを合わせた時に、人形だけど魂を表現できるのではないかと感じました。(丸木美術館の展示「人形の中の幽霊」につながっていく主題です。ですので、私は《Pre-alive Photograpy》という作品で、リボーンドールを死後記念写真の技法で写真に撮るということをしました。)

左《A Happy Birthday》右《#selfiewithme》(上野の森美術館)

 この作品は、2019年秋頃『本心』連載中に作っていた作品です。私の頭部を石膏で型取りして、造形師さんにそっくりな人形を作っていただきました。写真に写っている片方は私で片方は人形なのに、どちらが人間なのかほとんど見分けがつかず、画面の中だけですがイリュージョンが起こるという、そういったことをやっていました。

 

          

《Untitled 09》(東京藝術大学大学美術館)

 博士課程の審査展で発表したこの《Untitled》という作品シリーズで博士号を取得しています。高精細なカメラにストッキングをかけてソフトフォーカスにすることで、自分と人形の境界を曖昧にしていくという表現をしています。

     

【オリジナルとコピーの境界】

── ありがとうございました。平野さんは改めて菅さんから作品の変遷をお聴きになって、いかがでしたか。

平野:ラブドールはもともとリアルな女性性が抜き取られている、男性の欲望の対象です。逆に、性的な興奮が高まったときに男性が生身の女性をラブドールとして見てしまっているということもあるでしょう。当然妊娠する可能性もあるのに、どこかで想像力がなくなっている、ということを複雑な屈折を通じて表現されているこの作品にとても驚きました。人工的な人間と生身の人間の似ていることと違うことを、自分なりに考えることがよくありました。

 『ドーン』という小説の中でVRで子どもを蘇らせ、その子どもに依存し続ける母親について書いていたので、とても興味があったんです。他の赤ちゃんの作品のシリーズも、亡くなった赤ちゃんの写真を見ていると苦しくなってくるような写真ですけれど、その一方で、子どもを持ちたかったけれど叶わなかった人の人形というのもあって、その二つの技術が合わさっているのも不思議で、『本心』の世界と近いと思いました。皆なんらかの欠落感や喪失感を何かで埋め合わせて生きていると思うんですよね。

 『かたちだけの愛』という小説を書いた時にそのことをとても深く考えました。肉体美、健康な肉体が素晴らしいということを無条件に語りがちですが、義足など代替的な身体を、序列的に劣るように思う発想が、いかに義足のユーザーを傷つけているかを感じていました。代替的な手段の中にある新しい生き方を模索するということに関心を持っていました。オリジナルとコピーの境界が無くなっていく話は、ポストモダニズムの頃からよく議論されていましたが、もっと生々しいところでその問題を考えたかった。小説『かたちだけの愛』では、生身の身体以上の価値のある義足を作りたいという発想を具体化しました。

  『本心』では、当初、VFのお母さんに依存して生きることを全面的に肯定して書こうと思っていました。義足ユーザーの義足を美しく新しい価値を肯定的に書いたように、VFの母も全面的に魅力的なお母さんとして書こうと思ったのですが、やっぱり書いてみると、お母さんとなったときに、本物とヴァーチャルなものとを完全に同質的に扱えるのかということにかなりためらいがあったんですよね。ゆらぎというところをそのまま作品として描くことが重要じゃないかと思ったんです。ですから、菅さんの最後の作品はよく見てもどちらがどっちってわからないし、カメラのトリックもありますよね。アプリでも使うと補正というのがいくらでもありますし。

 小説でもお母さんをVFとして再現した時に、カメラが自動的に補正していますから、それを解除したほうがいいのか、補正したまま再現した方がいいのかを問われて、主人公がためらってしまうという場面があります。メディアとフィジカルな存在との関わりを考えているという点で菅さんのお仕事と僕の小説に接点があり、僕自身興味を持っていました。面白い試みをしていただけるのではと期待して、アーティストである菅さんにお願いしたのですが、毎回ハッとするイメージがあって僕も楽しみでした。

 

  

 

【『本心』挿絵の創作背景】

菅:毎日の連載という初めてのお仕事で怖かったのですが、そのお言葉をいただいてとても嬉しいです。新聞連載の時は、書籍版では2040年と時代設定されているのと違って何年なのかが明確ではありませんでした。その中で作品の中でクマゼミという種類が特定されて書かれてあり、未来は温暖化が進み、蝉の生息地の北限が上がっているという描写だろうと思って黄緑のクマゼミで未来の様子を表現してみました。

平野:見抜いていただいた通り、生息地域が上がってくると予測して書いたんですよね。『日蝕』を書いた時にも、蝉が鳴いているということを書いたんです。蝉の生息地に関して、出版社の校閲の方が当時の蝉の生息地を細かく調べてくれて、南フランスには生息していただろうということで書いたのですが、こんなことまで調べるのかととても感心したのを思い出します。蝉もその一つなので気づいていただいてよかったのと、この丸いグラデーションが蝉の鳴き声のようでどうやって作られているのかと印象的でした。

 「今日一日の労働の意味はこの一匹の蝉に捧げるべきでだろう」という『本心』の一節が、気に入っている文章の一つでもあります。

 

──  縁起の場面の挿絵はとても反響が大きかったですね。

菅:この挿絵は本文にかなり忠実に作ってありまして、平野さんが書かれていた歴史など、あげていたものをできるだけ入れてみようと作っています。飛翔する翼竜、モスク、ロックコンサートの観客の手、高層ビル、キリマンジャロ、北極のオーロラ、爆発みたいなものもいれたりして、迷いつつもいろんなものを取り入れています。

平野:縁起は特に難しかったんですよね。数分という人間の時間と宇宙という悠久な時間との対比が難しいけれども描きたいと思っていました。一方で、三島由紀夫論の準備を進めていた時期で、仏教の唯識論がテーマになっていて、1万年とか転生し続けるということになると、ニルヴァーナに達して脱したいという気にもなるのではないか、ということも考えて、普通の自分の時間感覚と宇宙の感覚に対して考えていました。信仰のない自分は、輪廻転生もなく火葬されて炭素となり、死によって終わりを迎えるのか、宇宙の塵芥となって漂い続けるのか。虚無感にも襲われるかもしれない。これまでの三島だと抽象的な思弁でしか語れないところがVRだと描けるのではないかと思ったんです。新聞連載という難しさがあったんですけれどね。

      

【カラバッジョの聖ヨハネを使った理由】

── 最後に、菅さんから平野さんにぜひお伺いしたいご質問があるそうです。

菅:ずっと気になっていました。アバターが沢山でてくるのですが、ひとつだけが他の動物やファンタジックなアバターとは違う。イフィのアバターだけがなぜカラバッジョの洗礼者聖ヨハネなんだろう、聖ヨハネは多くの画家が描いていますが、なぜこんなにピンポイントなんだろうという疑問を持っていました。

      

 

平野:カラバッジョの聖ヨハネは、少年のナイーブさと、小説にも書いたのですが、匂い立つような生々しいエロティシズム漂う半裸の少年なんです。イフィーの車椅子の普段の彼とは違う、開放感を経験したがっているということを半裸ということに重ねてVRの世界を描きたいという気持ちがあって思いつきました。菅さんのドローイングノートにも共通するのだと思うのですが、マークジェイコブスのドキュメンタリー映画をとても面白く何度も観ました。彼が雑誌の切り抜きやものなどを並べていてその組み合わせからインスピレーションを得てクリエイティブ性を高めていたのですが、それを思い出しました。

 

カラバッジョの聖ヨハネ
© Rome, Galleria Corsini

 

(ライティング:田村純子)


菅実花(かん・みか)●美術作家。1988年神奈川県生まれ。2013年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。2016年同大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。2014年より、等身大愛玩人形の妊娠を描くことで人間と非人間の境界を問いかけるアートプロジェクト「Do Lovedolls Dream of Babies?」を手がけ、注目を集める。主な展覧会に「The Future Mother」(2016・慶應義塾大学)、「The Ghost in the Doll」(2019・原爆の図丸木美術館)など。
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