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平野啓一郎×亀山郁夫対談──はじめてのドストエフスキー【文学の森ダイジェスト】

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】

2024年2月は、ロシア文学研究者で翻訳家の亀山郁夫さんをゲストにお招きし、「ドストエフスキー入門」をテーマにライブ配信を行いました。

『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『白痴』『未成年』。五大長編すべてを17年かけて完訳するという偉業を成し遂げた亀山さんとの対談を通して、「ドストエフスキーを読む快楽とは一体何なのか」という問いの答えを探りました。

▶︎今こそ、ロシア文学を読む
▶︎『罪と罰』の衝撃
▶︎『カラマーゾフの兄弟』には続編があった
▶︎ロシア特有の時間感覚
▶︎人間が書く小説の"最後の砦"


今こそ、ロシア文学を読む

平野:ドストエフスキーの世界的な学会が開催され大変な盛況でしたが、不参加表明などもあり、プーチン政権の戦争以降、ロシア文学やドストエフスキーが読まれていく環境に大きな変化もありました。

亀山:ドストエフスキーという作家はしばしば、文学そのものとして読まれるより、政治的な主張の書として読まれることが他の大作家と比べて大きく、とくに今のような時代にあって、彼をとりまく環境は世界的レベルで悪くなっていると思いますね。それは、とくに晩年の彼の反ユダヤ主義的な傾向や、どちらかというと好戦的なところがあるためです。ただし、好戦的といっても今日的な感覚とは少し違って、そこには宗教的な信念や自己犠牲の精神が脈打っています。ロシア文化全般についていうと、実は私も、ロシア的なものにより育まれた芸術に嫌悪感を覚えた時期がありました。むろん今回の「侵攻」が影響しています。

そうはいえ、日本に関するかぎり、ドストエフスキーやロシア文学をめぐる状況が悪化しているとはいえません。それは戦争や政治に無関心だからということではなく、日本人が彼の文学を受け入れてきた年月が長く、しっかりした受容の基盤ができているからだと思います。要するに、状況に左右されず、文学、芸術の根本に触れようという曇りのない目が育っているからです。まさに成熟の証しです。

 

ドストエフスキー文学との出会い──『罪と罰』の衝撃

平野:亀山さんとドストエフスキー、ロシア文学との出会いについてお話しいただけますか?

亀山:1964年頃、15歳の夏にドストエフスキーの小説『罪と罰』に出会いました。2週間もの間、あたかも主人公のラスコーリニコフに自分が憑依したようになっていました。主人公が老婆を殺す場面では、自分が犯罪を犯したように夢でうなされ、「自分の手から血の匂いが消えない」と友人に話していたそうです。

平野:衝撃的な本を読んだ時に、痕跡を残すような感覚があるのは僕もよくわかります。僕にとっては三島由紀夫の『金閣寺』でした。ドストエフスキーの『罪と罰』は、僕ものめり込んで読みましたが、”ニヒリズム”に特に強く共感し、心動かされました。読んだ時期が90年代後半の日本の雰囲気と非常に似通っていたというのが、のめり込んだ原因だったと自己分析しています。亀山さんが読まれた15歳の頃はソ連時代でしたので、今と状況が非常に違っていたのではないでしょうか。

亀山:当時、私はまだ中学生で、作品に描かれた19世紀ロシアの社会にすっぽりと呑みこまれていたので、ソ連とか冷戦時代という観念はなかったですね。言い換えると、世界は自分の精神の延長線上にあって、これを客観化できていない状態でした。『罪と罰』のなかに「大地からの断絶」という表現があるのですが、罪を犯すことがいかに恐ろしいことか、主人公の青年ラスコーリニコフとともに、世界いや大地から引き離されるような物凄い孤独を味わいました。平野さんはどうですか。

平野:最後の、ロシアの大地に接吻して自分の罪を悔い改めるという着地点に非常に感動しました。これがロシア的なるものなのかという感じも受けましたが、どうでしょうか。

亀山:その場面で、主人公は快楽と幸福を覚えながら、一瞬の間、救済を経験します。「大地からの断絶」という孤独を一緒に感じていた私自身も、大地との一体感と同時に猛烈な開放感を味わったのです! 何十年も生きてきて、自分自身のなかに”正直であれ”という思いが強いのは、主人公がセンナヤ広場の地面に接吻した感覚が自分の中に残っているからかもしれません。大地への接吻というのは、優れてロシア的かつ東方的な感覚であるような気がしますね。

 

『カラマーゾフの兄弟』には続編があった

平野:ドストエフスキーが作家人生の集大成として『カラマーゾフの兄弟』を書いたことについて、お話しいただけますか。

亀山:僕の最大の関心は、ドストエフスキーという作家と作品の関係性です。つまり、『カラマーゾフの兄弟』を彼の自伝として読み解くというのが私のアプローチの基本で、どういう意味において自伝かということを、もう何十年もの間、考え続けています。

ただし、『カラマーゾフの兄弟』には「著者より」と題された序文で明かされている通り、続編として「第二の小説」が予告されていました。この続編である”第二の小説”は、自伝というよりも、歴史小説的な要素を含む、もう一人のドストエフスキーが書く小説だと私は捉えています。

父殺しの問題の根本に潜んでいる歴史的な意味、文化的な意味、そして象徴的な意味、それはロシアの歴史を考えることそのものなんですね。ロシアがなぜ、今このようにすさまじい状況の中にあるかという問いに対する答えも、実はこの『カラマーゾフの兄弟』の中にあるのではないかと思っています。

平野:僕にとってもドストエフスキーは非常に大きな影響を受けた作家で、なかなか手の届かない作家です。作品を読むと、自分のものを考える力が後押しされるといえばよいのか、より深いところまでものを考えていくような力を与えられるというのが、ドストエフスキーの文学だと思います。

 

ロシア特有の時間感覚

———ドストエフスキーの小説を読んで難しいと感じると同時に面白いと思うのは、登場人物の独白が続くところです。この議論が繰り広げられるロシアの社会状況を、現在の私達の社会状況に照らして理解できるでしょうか。

平野:長い独白は、ロシア人にとっても異様に感じられるのか、それとも文化として自然なのでしょうか。

亀山:思うに、時間感覚がロシア人には希薄です。あれだけの大自然の中で生きているので、ものごとがすべてユックリズムで動いている。私がロシアで長く過ごしたのは、1990年代半ばですが、バスも平気で遅れてきますし、約束の時間に30分遅れるのは日常茶飯事で、非常におおらかというか鷹揚というか、そういう時間感覚の中で生きていました。ただし現代のロシア人は、私の記憶するロシア人よりも多少ともモダナイズされているかもしれません。いずれにせよ、規律などに関する考え方は脆弱ですし、それは突き詰めて言うと、ひとりひとりの人間の自我、自己の確立が非常に遅れているということになると思います。と同時にそれは、彼らが精神的に豊かで、開放されている証しでもあるのです。

端的に言うと、豊饒と冗長が一体となっている。たがいに、「生命の全体性に対する」というと少し大げさですけれど、そうしたものに対する肯定があるので、何時間喋ろうが互いに許し合う、という信頼関係が成立している。ドストエフスキーにしろトルストイにしろ、長広舌が現れてくるというのは、彼らの生命感覚と一体となった時間感覚の表れだというふうに思います。ロシア人は言葉の民なのです。

 

人間が書く小説の"最後の砦"

———最後に、これからドストエフスキーを読んでいく人に向けて、その魅力についてメッセージをいただけますでしょうか?

亀山:このような質問をいただくことになると思って、作文してきました(笑)。読み上げさせていただきます。「ドストエフスキーを読む快楽とは一体何なのか。人間というのは、主観的にも客観的にも謎だということ。遺伝子の解明がどこまで進もうと、AIの進化がどこまで進もうと、人間は謎のまま残る。最終的に我々は、科学の力で乗り越えることができない、偶然との闘争という問題に最終的に行き着くだろう。だが言葉が存在する限りにおいて、というよりも、認識する主体というものが個人である限りにおいて、つまり個人が個人として存在する限りは、謎は決して消えることはない。文学の森というのは、まさに人間の魂という密林を意味しているのだろうと思います。」つまりこの密林は永遠に消えることはないということを言いたいなと思って作文してきました。

平野:ドストエフスキーというのは、作家として巨大で、読むとエネルギーが満ち満ちていて、人間として何かものを考えるということを、根本的にドストエフスキーによって後押しされるような、非常に稀有な存在です。AIが小説を書けるのかどうかというのが昨今議論になっています。何か書くかとは思いますが、やはり人間が書いた小説の方がすごい、という最後の砦としてドストエフスキーの小説があると思います。もしAIが、これを超えるものを書けば、もうお手上げだと思いますが、そういう日は来ないだろうと思います。そういう意味では、本当に大げさではなく、人類が残した文学の中でも傑出した作品がドストエフスキーの小説なのではないかと痛切に思います。僕も繰り返し読んでいきたいと思いますが、読めば読むほど、発見があります。これから手をつけてみようかと思われる方も、ぜひ今日の対談をヒントにしながら、読んでみてください。

ドストエフスキーについて話を伺うとなると、亀山さんをおいて他にはないということで、聞いてみたいことをいろいろと質問させていただいて、非常に丁寧に、また情熱的に答えていただきまして、僕も大変贅沢で楽しい時間を過ごさせていただきました。皆さんにも、いろいろと心に残る言葉があったのではないかと思います。ありがとうございました。

(構成:水上純)

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