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〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が語る『少年が来る』──国民的トラウマを「当事者でないからこそ書く意味」とは

text by:平野啓一郎

平野啓一郎をナビゲーターとして、古今東西の世界文学の森を読み歩く文学サークル【文学の森】では、3か月ごとに「深める文学作品1冊」をテーマとして定めています。その作品に関し、1か月目は「平野啓一郎が語る回」、2か月目は「平野啓一郎がゲストと語る回」、3か月目は「読者と語る回」を開催します。

12月クールの「深める文学作品」は、ハン・ガン『少年が来る』。
この記事では、10月31日に開催したライブ配信「平野啓一郎が『少年が来る』を語る回」のダイジェストをお届けします。


 

【僕と韓国文学、韓国との関わり】

平野啓一郎(以下:平野):僕のデビュー作『日蝕』が刊行されるとすぐに韓国語に翻訳され、ソウルでもサイン会が開催されました。まだネットが未発達で日韓の文化情報の行き来が限られていた時代、若者がいろいろと日本文化に関心を持ってくれていました。その時に印象的だったのは、現地の人がよく言っていたことなのですが、民主化してからソウルの人たちの表情が明るくなったということです。

 韓国が民主化するためにどれだけの犠牲を払ってたどり着いたのかを、その時、まだ僕はよく理解していませんでした。その後もほとんどの僕の本が韓国で翻訳され、幾度もソウルに行き現地の作家や出版社の人との交流を重ね、韓国のことを考えていく機会になりました。

 小説『葬送』を書いた時、パリに実質的に亡命していたショパンの心境を想像したのですが、自分の国が無くなってしまうということはどういうことなのかを深く考えました。ショパンの祖国ポーランドは、1830年以降に三国分割されて消滅します。革命運動の拠点は昔から決まって大学で、ワルシャワ蜂起も大学生たちから始まっており、真っ先に大学が潰されます。『日蝕』でデビューした後、『葬送』を書いている間の三、四年間にそういうことを考えることで、遠回りですが、韓国の現代史に自分なりにアクセスする術を得たと思います。文学というのは、一見関係ないところが切り口になって、他の問題に繋がっていきます。

 小泉政権下、日韓関係が緊迫化した時にも韓国訪問をしました。事前に靖国問題などについて鋭く質問されるのかと思ったのですが、韓国のスタッフの方々は僕に気を遣って、小説の話題に終始しました。

 徴用工問題にせよ、慰安婦問題、竹島問題にせよ、その問題を投げかけられ、小説家として回答を求められるということはこれまで一貫してなかったんです。最近はツイッターで僕の政治的見解を明らかにしていますから、韓国に関するツイートが韓国のニュースに取り上げられたり、韓国の新聞社から政治的なことでインタビューされることもあります。

 日中韓の作家が一同に会して交流を深める場として「東アジア文学フォーラム」があります。大江健三郎さん、中国の作家である莫言(モー・イエン)さん、韓国の黄晳暎(ファン・ソギョン)さんによって構想され、大江健三郎さんから島田雅彦さんが引き継がれて、今は僕にバトンタッチされています。このフォーラムを通じて、日中韓の作家と親しくなっていきました。しかし韓江(ハン・ガン)さんはこのフォーラムメンバーではなく、昨年クオン出版社のイベントで、オンライン上ですが、初めてお会いしました。初めてでしたが、作家・金衍洙(キム・ヨンス)さんなど共通の友人もいたので、自然にお話できました。

 

【『少年が来る』を読み解くためにヒントになる作品と当事者性】

── 10月クールは、ハン・ガンさんの作品『少年が来る』がテーマですが、平野さんが初めてハン・ガンさんの小説を読まれたのはどの作品でしたか?

平野:ハン・ガンさんの小説は『ギリシャ語の時間』『菜食主義者』(マン・ブッカー国際賞受賞)『すべての、白いものたちの』の順番で読みました。『ギリシャ語の時間』は、ギリシャの歴史を知らずとも、男女の心の繊細なゆらぎだけでも楽しんで読める作品だと思います。エモーショナルだけれど非常に理知的な作品だと思いました。

 ハン・ガンさんの『少年が来る』には、”大きな出来事は簡単に終わらせることはできない”というメッセージを感じます。人間においても国家の歴史においてもそうです。

 先ほど話に出た「東アジア文学フォーラム」に、以前、映画監督のイ・チャンドンさんが参加されました。フォーラムで、イ・チャンドンさんの『男の中の男』という短編小説が日本語に訳されたのですが、民主化運動に携わっていた男性が、その記憶を払拭できずに活動を続けるという短編です。彼の映画『オアシス』や『シークレット・サンシャイン』が、僕はとても好きです。同じくイ・チャンドン作品に『ペパーミント・キャンディー』という映画があるのですが、これも光州事件を扱っている作品で、過去を遡っていく物語なんです。この映画は、『少年が来る』を読む上でも、ヒントになると思います。

 国民的なトラウマにアクセスすることはとても難しい。特に個人の内面に関わっている問題を描こうとしたときに、すんなりとアプローチできないようなものに対して、小説の構成や手法として、一見わかりにくい、時制の変化などの方法が取られるのだと思います。

── 「時制」と、一人称などの「人称代名詞」が特徴的ですね。読み始めたときに、すんなりと理解できない、それがゆえに全体像を掴みたいと思い、読み進めたというご感想を「文学の森」でお聞きしました。

平野:当事者性の問題だと思います。例えば震災でも同じなんですけれど、当事者でない小説家がどうやってリアルに書けるのか、ということを東日本大震災以来、突きつけられてきたと思います。

 一方、当事者でないからこそ書く意味もあると思います。当事者の方から言われた言葉に、はっとしたことがあります。「平野さんみたいに文才があるわけじゃないし、当事者だからこそ、辛くて発信できないこともある。だから当事者じゃないからということで距離を置かれると、見捨てられるような気持ちになる。やはり書いてもらった方がいい。経験者だから誰もが語れるわけではないのです。」と。

 『少年が来る』の最後のエピローグで、作者(光州出身のハン・ガンさん)とおぼしき人が出てきますね。そこで、ハン・ガンさんと光州事件あるいはトンホがどういう関係にあるのかということが明かされますが、ハン・ガンさんも当事者でない形で書くことの難しさを感じたと思います。逆に、ノンフィクションとして、作者がインタビュアーとなり、当事者の語りを書き綴るという書き方は一番わかりやすいのだと思います。生々しい声を書くには、僕の考えでいうと「分人」の考え方になりますが、「君は」などのように、愛する人に語りかける言葉で書くことによってリアリティがこもる。インタヴューなどのように、インタヴュアー向けの分人ではなく、愛する人向けの分人を、その横顔を見つめるように描写する、ということです。── そのような語りがあると思います。当事者同士の声の響き合いを、読者は受け止めることができるのではないかと思います。

 ハン・ガンさんは詩人でもありますが、詩では、「君は」、「あなたは」という語り方は珍しくありません。韓国人にとっての民主化のナショナルヒストリーの核心にある光州事件へのアクセスの難しさを感じます。『ギリシャ語の時間』の詩的な文体とは違い、この作品は、かなり生々しい光景をあえてリアルに描写していますので、そういう覚悟の上で、書かれたんじゃないかと思います。ここは次回ぜひご本人にお伺いしてみたいですね。

 

【『少年が来る』の政治的背景】

── 2020年の「K-BOOKフェスティバル」内で、平野さんは、ハン・ガンさんとの対談を通して、私的なものと政治的なものが同居する小説の重要性について考えたとおっしゃられていますね。

平野:僕らが韓国の小説を読む時に、韓国の歴史を理解していることが必要ですし、来月、皆さんが直接ハン・ガンさんに質問する上でも前提となることだと思います。文京洙(ムン・ギョンス)さんの『新・韓国現代史』(岩波書店)は、近現代史を明確にまとめた本なので、この本をおすすめします。これから僕が話すこともこの本をふまえています。

 韓国の現代史は非常に複雑です。日本による植民地化は終戦と共に解放されますが、36年間という長い年月、植民地化されています。韓国で「親日派」というと「新日帝派」です。日本の植民地化は尾を引いています。前回の三島由紀夫『春の雪』クールでは、三島が戦争に参加できなかった罪悪感と後悔の念を持ち、戦後、空虚感を持ったことを話しました。一方で、韓国は日本によって植民地化され、日本の敗戦により解放されますが、主要な精力が独立闘争で勝ち取ったという形ではなく、終戦後やはり、一種の空虚感もあったようです。そのことを相対的に考えることが大切だと思います。

 朝鮮半島は南北に分断され、南はアメリカ側の政権となりますが、韓国で左翼というのは、フランスなどの他国のリベラルとは違い、親北朝鮮という立場となります。韓国はアメリカの信託統治下で、朴正煕大統領がベトナム戦争に軍派遣もしています。このとき、韓国は経済的な発展をしていますが『少年が来る』でもベトナム戦争の体験が語られ、兵士がその経験に結びつけて光州で市民を虐殺することが描かれています。また女子労働者によるYH労働事件が〈五章 夜の瞳にも出てきます。

 光州事件は大学生のデモから市民の武装にまで発展し、政府軍との対立が激しく、戒厳令下で警察による拷問や軍による市民への虐殺なども起こりました。ソウルでも反対運動は起こったのですが、ソウルでは大学生の運動に市民のサポートが得られなくて、一旦おさまってしまう事態となりました。光州とソウルで全く状況が違った、ということです。〈六章 花が咲いている方に〉では、高校生ながら籠城し、軍に殺されてしまう末弟(トンホ)について、後に、無理にでも連れ帰らなかった下の兄を上の兄が非難し、大喧嘩になる場面があります。そこで「兄貴に何が分かって……ソウルに居たくせに……」という一言が出てきますが、このシーンは「ソウル駅回軍」を知るとよく理解できます。

 三島の『豊饒の海』のように観念的に描かれている本は、ある意味議論しやすいですが、この小説はルポルタージュのように書かれていますから、背景として韓国近現代史を踏まえていることが大事なことだと思います。

(編集・ライティング:田村純子)


【平野啓一郎の文学の森】

10月〜12月は、韓国を代表する現代作家ハン・ガンさんの『少年が来る』をじっくり読み解いていきます。

1980年韓国で起きた民主化抗争「光州事件」。 あのとき未来を奪われた者に何が起き、残された者は何を想ったのか。ブッカー賞作家ハン・ガンさんが「自作で最初に読んでほしい一冊」に挙げた、衝撃作です。

10月の配信に間に合わなかった方も、ご入会後はアーカイヴ動画をご覧いただけます。そして11月のゲスト回では、ご本人の登壇も! 小説家の案内で、古今東西の文学が生い茂る大きな森を散策する楽しさを体験してみませんか?ご参加をお待ちしております。

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