Japanese
English

読み物

『決定的瞬間 The Decisive Moment』第1章 (2026年4月発表作)

text by:平野啓一郎


平野啓一郎の新作短編『決定的瞬間 The Decisive Moment』が、『新潮』5月号に全文掲載されました。

「多少、実験的なスタイルですが、第二期ほどそれが前面に押し出されているわけではありません。 僕は小説には解決不可能な問題(アポリア)が含まれていないと、文学である必然がないとよく言うのですが、今回も、なかなか答えの出ない問題です。小説内では、一応一つの回答が出ているのですが、それでは汲み取りきれない問題が残されています。是非、その部分を読んでいただきたいです。」
(公式メールレター 平野啓一郎の挨拶文より)

冒頭部分のみとなりますが、無料公開いたしますので、ぜひお楽しみください。


『決定的瞬間 The Decisive Moment』

平野啓一郎

  1 相談事 6月20日

 日本橋の商業ビル内のイタリアン・レストラン(オステリア・トリコローレ)で、現美のキュレーターの新田聡子さんと面会した。彼女は、私が現美に異動していた時の元上司で、とてもお世話になった。
 この問題を人に話したのは、彼女が最初。
 週末の日のランチタイムで、店内は、家族連れで賑わっていた。
 私たちのテーブルは、窓辺の奥まった角で、隣には、小学校低学年くらいの子連れの母親たちのグループがいた。アニメ映画の帰りらしく、子供たちは、買ってもらったグッズに夢中だった。
 ほどよくざわついていて、かえって話はしやすかった。
 前菜とメイン、デザートの三品のランチ・コースとペリエを一本注文した。
 最初に、新田さんが髪を切ったこと(もう三ヶ月前)、白髪を染めるのを止めたことなどを、すぐに出てきた前菜を食べながらしばらく喋った。その後、彼女の方から、「賢木さんの展覧会、秋だよね? 順調?」と尋ねられた。気楽な口調で、私がメールで仄めかしていた「相談」の内容は、それとは無関係のプライヴェートなことだと思っている様子だった。
「実は、そのことで相談なんです。」
「あ、そうなの? 問題発生?」
「はい。」
「──ご遺族?」
「いえ、ご遺族はとても協力的です。私も、院生時代から、もう十年以上出入りしてて、賢木さんがご存命の間も、夕食をご馳走になったりしてましたから。」
「何してる人だったっけ?」
「お医者さんです。」
「あー、言ってたね。珍しいよね、写真家の息子で医者って。」
「でも、賢木さんも、ものすごく頭が良い人でしたから、わかる気がします。」
「何が問題なの、じゃあ?」
 私は、この期に及んでもまだ迷っていたが、意を決してiPhoneのカメラアプリを開いた。そして、賢木さんのアトリエで発見したものの写真を表示すると、彼女に手渡した。
 新田さんは、一瞥して眉を顰めると、メニューを見たあと脇に置いていた眼鏡を掛け直して、画面を覗き込んだ。よくわからないという表情には、同時にもう理解しているふうの拒絶反応が表れていた。
「……これって、賢木さんが撮ったの?」
「確信はないですが、多分。……賢木さんのアトリエです、その部屋。スワイプしてください。何点かあります。」
 一通り確認すると、新田さんは、嘆息しながら私にiPhoneを返した。そして、口許に手を宛がって、視線を斜めに落としたまま、しばらく黙り込んでいた。
 前菜を片づけて、店員が皿を下げると、ようやく口を開いた。
「もう、向野さんには、報告したの?」
「向野さん」とは、新メディア美術館の私の上司で、チーフ・キュレーターのこと。
 まだと言ったが、それに少し驚いた様子で、「するでしょう?」と訊かれた。そのこと自体も、相談するつもりだった。
「絶対に独りで抱えちゃダメよ。自分の身を守るためにも、信頼できる人と情報を共有して、相談に乗ってもらった方がいい。キュレーターだけじゃなくて、……そうね、学芸課内で話し合うにしても、私だったら、哲学、行動心理学、社会学、歴史学、……あと美術史かな、……うん、そういう広いジャンルの専門家に声を掛けて、開催の是非を検討すると思う。開催するにしても、どういう形で、どういう範囲なら可能なのか、脇を固めておかないと。」
「その場合、もちろん、この写真の内容には言及するんですよね?」
「そうねぇ、……やるなら、ね。イメージ自体を提示することは出来ないと思うけど、……展覧会の解説・図録で言及するか、学会か、研究書か、紀要か、……それは、向野さんが考えるでしょうけど。とにかく、そこまで行く前に、早い段階で、信頼の出来る人に責任を分担してもらわないと、水巻さんがあとで大変なことになるよ。」
「自分の身を守る」という彼女の言葉に、私はハッとさせられた。そういうことを、まったく考えていなかったのは迂闊だったし、今更のように、事態の深刻さを再認識させられた。
「それと、自分がどう対処して、誰からどんな助言を受けたかも、一言一句、全部細かく記録しておいて。絶対に、あとで役に立つから。そもそも、水巻さんがこれを所持しているだけでも、厳密には違法なんじゃない?」
 この新田さんの助言に従って、帰宅後、今こうしてこの文章を書いている。けれども、何をどこまで書くべきか、よくわかっていない。新田さんは、将来公表する時のために、ブログみたいな書き方でいいのではないか、と言っていた。
 それなら、毎回、会話を録音した方が良さそう。その方が証拠能力は高いと思う。ただ、同意を取りつけるのが面倒。
 メインが運ばれてきて、新田さんはパスタ、私はチキンを食べた。
 三日前に、それを発見してから食事が喉を通らない。「無理にでも食べた方がいいよ。」と言われ、展覧会の準備も手につかないと話すと、新田さんは、私の真意を探ろうとするように、しばらくじっとこちらを見ていた。当惑するほどの長さだった。
 多分、口に出かかっている言葉を、本当に口にすべきか、迷っていたのだと思う。他でもなく、会話を記録すべきだと助言したのは、新田さんだったから。
 新田さんは、それから隣のテーブルに目を向けて、子供たちが顔を寄せ合って、ゲームに夢中になっている様子を眺めた。──眺めたというか、露骨なほどまじまじと見ていた。特にうるさいわけでもなく、席を立って集まっているのが気になるのだろうかと、私は、あまり新田さんが思いそうにないことを考えた。
 さすがに母親の一人が、その視線に気がついてこちらを振り向くと、新田さんは、スッと目を逸らした。そして、固い表情で下を向いて、首を小さく横に振った。
「向野さんの判断の前に、私が意見を言うのもどうかと思うけど、……無理だと思う、展覧会は。」
 そう告げられて、私は初めて、彼女が隣の子供たちの姿を、それに重ねて見ていたことに気がついた。
 そして、展覧会まで、もう二ヶ月半を切ったこの時点での中止の可能性を、本当に現実として認識したのも、この時だった。
 もしそうなったら、院生時代からの私の研究は、どうなるのだろう?
 本当に、そういう問題なのだろうか? 開催すべきだという人に相談するなら誰だろう?
 中止だけは回避したい。何のために学芸員になったのかわからない。


(続きは、4月7日発売の『新潮』5月号にてお楽しみください)

公式LINEアカウントはこちら