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小説家・平野啓一郎×翻訳家・鴻巣友季子対談。現代の小説へ大きな影響を与えたヴァージニア・ウルフ『灯台へ』の長文ニュアンスと自由間接話法

text by:平野啓一郎

 

ヴァージニア・ウルフの名著『灯台へ』をテーマにとする第2回目は、翻訳を務めた鴻巣友季子氏を招いての対談。ウルフ作品の文体の特徴や翻訳の難しさ、そしてウルフの再評価される現代の潮流などについて語り合いました。

 

〇鴻巣友季子

翻訳家、文芸評論家。1963年、東京生まれ。英語圏の現代文学の紹介と共に古典新訳に力を注ぎ、訳書は百数十冊に上る。主な訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(全5巻)、J・M・クッツェー『恥辱』など。主な著書に、『明治大正    翻訳ワンダーランド』『文学は予言する』(すべて新潮社)、『全身翻訳家』『翻訳ってなんだろう?』『翻訳教室    はじめの一歩』(すべて筑摩書房)など、文芸評論や翻訳論論に関する著書も多数。

 

〇あらすじ

スコットランド沖スカイ島にある哲学者ラムジー家の別荘には、夫婦と子供たちと客人が過ごしていた。末息子ジェームズは灯台に行くことを楽しみしているが、父は天候を理由に否定的な態度をとる。時は過ぎ、第一次大戦が起こる中、一家は母と二人の子供失う。10年後、荒れ果てた別荘に再びジェームズと父、客人たちは訪れ、灯台に行くことになる。

 

【フェミニズムの潮流で再評価されるヴァージニア・ウルフ】

平野:昨年、鴻巣さんが翻訳された『灯台』が新潮文庫から文庫化され、非常に話題になりました。ハードカバーで刊行されたときと比べて、反応の違いを感じましたか?

鴻巣:そうですね。当時はSNSもまだ黎明期で、今のように読者の声が直接届く状況ではありませんでした。また、当時はまだ日本ではウルフの認知度が低かった。モダニズム系作家といえば、ジェームズ・ジョイスが筆頭でした。

平野:1960年代にはウルフ作品はよく読まれたようで、三島由紀夫も、晩年のインタビューでウルフに言及していました。「あなたの小説にもし欠点があるとすると、どこですか?」というような質問に対して、「ドラマチックすぎるところだろう」と答えた上で、「自分には、ヴァージニア・ウルフのような小説は、書きたくても書けないんだ」と。当時の日本の文学界では、ウルフ作品はすごく新鮮な印象だったようですが、その後、関心が下火になり、再び浮上してきたのが2010年代以降でしょうか。

鴻巣:そうですね。再評価されたのは、まずフェミニズムの潮流が大きいですね。ウルフの思想と作品がフェミニズムの文脈で注目され、女性作家としての位置づけがあらためて見直されました。そして現代は、町屋良平さんや井戸川射子さん、川上美映子さんといった若い世代の作家たちが、ウルフの影響が明らかな作品を発表した。こうした「ひそかなウルフファン」の存在が、次第に目に見える形になってきたように思います。

 

【「こんなに面白い小説はない!」夢中になった20歳での出合い】

平野:鴻巣さんとウルフの作品の出合いはいつ頃でしたか?

鴻巣:私がウルフを最初に読んだのは、大学2〜3年の頃、新潮文庫版、中村佐喜子訳の『灯台へ』でした。読み始めてすぐ、「こんなに面白い小説はない!」と夢中になりました。

平野:第一部はやや読みづらく、挫折する読者も少なくないですが、鴻巣さんは最初から引き込まれたんですね。

鴻巣:はい。当時の自分がどこまで理解していたかは自信ありません。ただ、とにかく強く惹かれて、それからしばらく、一番好きな小説を聞かれたら『灯台へ』と答えていましたね。

 

【翻訳は、長い一文との格闘。理性的に考えるとダメで、怖さがなくなる】

平野:この作品は、翻訳がなかなか大変なのではないかと思いますが、どのような印象でしたか?

鴻巣:原文では、冒頭からものすごく長い一文が続きます。「ええ、いいですとも、明日晴れるようならね」とラムジー夫人が言って、それに続く一文で、息子がすっかり舞い上がってしまう様子が描かれます。そしてそのまま、「いよいよ探検に乗り出すんだ」という期待感が高まっていく。文章がどんどん連なって、息が続かないくらい。

平野:主語がどんどん膨らんでいく感じですね。

鴻巣:ええ、なので実際に訳す際も、一気に訳すのではなく、区切りながら丁寧に進めました。

平野:そうですね。途中で適切に切らないと、日本語としては冗長になりすぎてしまいますね。

鴻巣:そうなんです。なので、原文の「ブレスの長さ」を、どのように日本語で再現するかということを考えましたね。

平野:『灯台へ』この冒頭の部分で、とくに翻訳を工夫したフレーズや言葉はありますか?

鴻巣:「待ちに待ったあの夢の塔」という部分ですね。この「夢の」という部分、原文では「wonder」となっていて、普通に訳せば「驚異の」あるいは「奇跡の」となります。しかしそれでは原文のニュアンスとはずれてしまうと考えて、「夢の」と訳しました。この部分は、ウルフを研究する学者の方からも「あの訳は思いつかない」と褒めていただいたところです。

平野:鴻巣さんの翻訳の方針は、作品ごとに変わるのでしょうか? それとも基本方針のようなものがあるんでしょうか?

鴻巣:基本的に翻訳って、病気で言うと「対症療法」でしかないんですね(笑)。一貫した治療法はなく、その都度、原文と向き合いながら調整していきます。ただ、私は比較的、原文の語順をなぞるほうだと思います。とはいえ、あまりにも忠実にやりすぎると、日本語として不自然になったり、原文のリズムを損なったりするので、そこはバランスを取っています。

あとは、作家や作品によって翻訳の仕方を意識することも確かにあります。例えばエドガー・アラン・ポーの場合は、整理して訳しちゃダメなんです。整理すると、ポーの作品がもつ「怖さ」がなくなっちゃう。『アッシャー家の崩壊』という作品の最後に、屋敷が崩れる有名な場面がありますけど、理性的に考えたら、最初に壁が崩れてパカッと割れたところに、赤い真っ赤な血のような月が見える。だから、もう月が見えたときには、壁ってのは崩れてなきゃおかしいんだけど、ポーの書き方ってそうじゃないんですよ。 最初にピピピシって亀裂が入ったので、何かが割れたように見える、その一瞬、 真っ赤な月がドーンって目に飛び込んでくるんですよ。そして一歩遅れて、壁が崩れていく。その認知認識のギャップに怖さがあるので、あえてきちんと整理せずに訳すほうがいいんです。

 

【画期的だった「自由間接話法」が、今の小説では無意識に使い分けられている】

平野:やはり、ウルフを原文で読むのは難しかったですか?

鴻巣:難しかったですね。一文が長いだけでなく、自由間接話法が巧みに使われています。自由間接話法とは、例えば「少年は不思議に思った。なぜお母さんは帰ってこないの? もう日が暮れるよ」というように、カギガッコを使わず、形式上は地の文でありながら、人物の内面を描いているものです。『灯台へ』ではそれが多層的に入り組んでいて、語り手の声、ラムジー夫人の声、そのほかの登場人物の声など、さまざまな人物の意識を行き来する構造になっている。それが誰の声なのか、それなりわかりやすく訳さないといけない一方で、あんまりはっきり訳してしまうと、原文のニュアンスが損なわれてしまう。

平野:日本語は主語を省略できるから自由間接話法と相性がいい面もあるけれど、難しさもありますよね。

鴻巣:そうなんです。英語の「he」「she」は機能語ですが、それを日本語の「彼」「彼女」にすると、意味が重すぎる。その違いも意識しないと、原作の微妙なニュアンスを壊してしまいます。

平野:現代の作家は、自由間接話法が使われている小説をたくさん読んでから作家になっているので、自分が小説を書くときにはあんまり意識せずに、無意識的に使い分けているところがあると思います。

鴻巣:そうですね。でも、原理を知らないと、読解や翻訳ではつまずきやすい。だからこそ、ウルフを訳した経験は自分にとって大きな財産になりました。のちに『風と共に去りぬ』を翻訳した際にも、ウルフを翻訳したときに鍛えられた技術が非常に役立ちました。誰もマーガレット・ミッチェルの文体が特別だと思っていないと思いますが、訳してみたら、実は自由間接話法や自由直接話法をものすごく使いこなしている作家だったんです。

 

【クライマックスの強い印象を記憶に残す3部構成の組み合わせの妙がすごい!】

Q.ウルフは「意識の流れ」という文体の特徴が注目されがちですが、小説の構成も非常に大胆で、素晴らしいと思います。お二人はウルフの構成力をどのように評価されていますか?

鴻巣:ウルフといえば、心情描写や意識の流れに話題が集まりますが、私としては構成が面白い作家だと思っています。

平野:前回も触れましたが、この作品は、例えば芝居にしたら、非常にわかりやすい3部構成だと思うんですよ。 第1部は家の中でずっと話して、第2部で荒れた家の風景が書かれて、第3部でついに、みんなで灯台へ向かう。小説としては、非常にモダニズム的に単純化された見事な構成だと思います。物語というものの起源を辿れば、最初は「記憶術」と深く結びついたと思うんですよね。文字がない時代は、その記憶できるということが重要だった。しかし印刷媒体が行き渡って、読者が細かい部分まで読み返せるので、筋をすべて記憶してなくても良くなった。そのおかげで、どんどん複雑な話を書けるようになったのだと思います。この作品も、読んでいて「あれ、どうだったっけ?」みたいなところも多々ある。一方で、1部、2部、3部の単純な構造だけは非常に強い印象を残していて、それぞれのクライマックスシーンの記憶もかなり強く残る。そのバランスというか、組み合わせの妙がすごいと思います。

鴻巣:今のお話、とても面白いですね。物語が始まった何千年前とかって、まず文字がないですよね。そこから文字が発達して行き渡って、紙を一つにまとめて綴じる製本技術というのもできた。本というものの境界線が見えるようになったということと、小説の発達は確実につながっていると思います。

平野:最初は巻物だったのが、それだと、「あそこでなんて書いてあったっけ?」と検索するときに、毎回くるくる広げなきゃいけない。それだと非常に手間がかかるということで、紙を綴じる形ができたようです。

鴻巣:それでいうと、私はめちゃくちゃ付箋をつけて読む人なんですけれども、今のKindleっていうものは、巻物に戻っていませんか? あの場面がどこら辺にあるって、体感できないんですよ。だからあれは巻物よりひどいかもしれない(笑)。

平野:紙の本は、昔読んだものでも、どの場面がどの辺にあったか、手で覚えていたりしますよね。Kindleはそれができないから、確かに紙の方が読み終わった後も使い勝手はいいですよね。

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