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小説家・平野啓一郎が応答しなくてはいけないと感じた、映画『オッペンハイマー』

text by:平野啓一郎

 

今回は、第二次世界大戦下、原爆開発を主導した天才物理学者オッペンハイマーの生涯を描いた映画『オッペンハイマー』(米2023年)。本作は、原爆の悲惨さが描かれていないことが日本では大きく話題となりました。その理由や作品に込められたクリストファー・ノーラン監督の意図、偉人伝のような原作、被爆者でもある作家・林京子さんのトリニティーサイトでの体験談を交え、平野啓一郎が多角的に解説します。

 

監督の真意は「原作との違い」に表れる

──平野さんは、映画『オッペンハイマー』に感銘を受け、原作の伝記を読み、クリストファー・ノーラン監督の過去作もすべてを見返した上で、原稿用紙90枚に及ぶ論考を発表されました。今回は、なぜこの映画にそこまで強い印象を受けたのか、そしてどのような点に注目したのかを伺いたいと思います。

平野:『オッペンハイマー』は、映画として非常によくできた、ノーランの最高傑作といっていい作品だと思います。同時に、唯一の戦争被爆国の一市民であり、一小説家として見ると、これは何か応答しないといけないんじゃないかなという感じもしました。そして、ノーランの過去作全体を、『オッペンハイマー』を通じて論じることもできると思いました。

原作となった伝記『オッペンハイマー』と比較すると、ノーランが表現したかったことがより良く見えてきます。原作と違うところというのは、監督がどうしてもそうしたかったところなんですよね。三島由紀夫の『金閣寺』を、実際の事件との違いに着目して読むことで三島の思想が浮かび上がるように、オッペンハイマーの伝記的事実と映画の違いを見ていくことが重要ではないかと思います。

 

後悔の念はないというオッペンハイマーに対するノーランの批評的な眼差し

──『オッペンハイマー』の場合、原作と映画の最大の違いはどのあたりでしょうか?

平野:原作よりも映画の方が、オッペンハイマーという人物に対して距離をとっています。原作も別に礼賛的に書いているわけではありませんが、読み終わってみると、”偉人伝”を読んだという印象を受けます。その点、ノーランは、非常に批評的な眼差しをオッペンハイマーに向けているように思います。

オッペンハイマーは、広島・長崎に原爆を落としたということに関しては「後悔してない」ということを再三強調しているんですよね。自分の懸念と反省というのは、常に現在および未来に向けてのものである、つまり世界にこういう兵器を登場させ、安全保障上、非常に不安定な世界にしてしまったことに対する責任であって、広島で亡くなった人、長崎で亡くなった人に対する後悔の念ではないということを繰り返し語っています。実際、日本に来たときも、広島や長崎には足を運びませんでしたし、「悪いと思っていないわけではなく、ただ昨日の晩よりは今晩のほうが悪く感じていないということです」という、神経を逆撫でするようなコメントも語っています。

 

あり得ないユートピア的な未来予測、原爆を落としたという戦後の理屈づけに対するノーランの抵抗

ノーランは、過去作から一貫して「因果関係のおかしさ」という主題を描いていて、それは『オッペンハイマー』にも見ることができます。最初は、ナチスが原爆を開発しているらしいという情報がもたらされ、ナチスが先に原爆を手に入れてしまったらこの世界は破滅だという危機感から、アインシュタインをはじめとする科学者たちが、「アメリカも原爆を作るべきだ」とアメリカ政府に訴える。ところが、映画にも描かれているように、割と早い段階で、ナチスの核兵器開発がうまくいってないことがわかる。ノルマンディー上陸作戦の後、数ヶ月以内にドイツが降伏することが明らかになると、アメリカによる核兵器開発の動機自体が意味を持たなくなってしまった。

人道的な観点から、ロスアラモスでも、原爆の実戦での使用に反対する声が上がり始めますが、それでも絶対に市街地で原爆を使用すべきだと説得的に主張したのが、オッペンハイマーでした。ただ実験をするのと、実際に市街地に落とすのでは人類に与える恐怖のインパクトは全然違うから、落とすことによって、そのあまりの恐ろしさに人間がついに永遠に戦争自体を放棄するに至るだろう、という理屈です。そのようなおよそあり得ない、、非現実的な現実主義とも言うべき主張で、そのためには、何万人かの市民に死んでもらった方がいいというのが、オッペンハイマーの考えです。ノーランが違和感を感じているのは、この辺りでしょう。

自国民の被害を少なくするため、というのもひとつの理屈だったと思いますが、ノーランは、そういう理由で原爆を落としたという戦後の理屈づけに対して距離を置いていますね。

 

被爆地の様子を描かなかった理由

平野:原作と映画の違いということで言うと、原爆投下後にロスアラモスで行われた報告会のシーンも注目すべき点です。

史実では、報告者が、「馬が草を食べているのを見た。たてがみの片側が完全に焼け落ちて、反対側は完全に正常だった」が、それでも馬は「幸せそうに草を食べていた」とユーモアを込めて報告したことに対して、オッペンハイマーは「原子爆弾を慈善的な武器のように言うな!」と叱責したらしいのですが、その場面は映画ではカットされているんです。その代わり、ノーランは、オッペンハイマーに、フィルムからスッと目をそらさせる演出をしています。

この映画が公開されたとき、日本では「被災地の惨状が描かれていない」という批判が多く見られました。確かに、被災地の様子を描いたほうが映画としてのバランスは取れたかもしれませんが、オッペンハイマーという人物の問題を提示する上では、むしろその描写がない、なぜなら彼自身がずっと目をそらしてきたからということを強調する方が良いと思ったんじゃないかと思います。

報告会の場面で、象徴的に目をそらさせることで、オッペンハイマーが広島や長崎に行こうともしないし、反省もしなかったということが非常に端的に表現されていると思います。

 

合わせて読んでほしい、14歳で被爆した体験を描いた作家・林京子さんの作品

平野:作家・林京子さんは、14歳で被爆した体験を描いた『祭りの場』などの作品を書かれていますが、同時に、そこで終わりではなく、その後被爆した方々がいかにあの戦後社会を生きてきたかということを丹念に書いた方でした。

『オッペンハイマー』では、核兵器の実験の場面が印象的に描かれていますが、その実験場である「トリニティサイト」という場所を林さん自身も訪れています。その描写がやはりすごくて、映画を見ながら、そのことをしきりに思い出しました。

五十四年前の七月、原子爆弾の閃光はこの一点から、曠野の四方に走ったのである。実験の日は朝から、ニューメキシコには珍しい大雨が降っていたのだという。実験は豪雨のなかをついて、行われた。閃光は降りしきる雨を煮えたぎらせ、白く泡立ちながら荒野を走り、無防備に立つ山肌を焼き、空に舞い上がったのである。その後の静寂。攻撃の姿勢を取る間もなく沈黙を強いられた、荒野のものたち。

 大地の底から、赤い山肌をさらした遠い山脈から、褐色の荒野から、ひたひたと無音の波が寄せてきて、私は身を縮めた。どんなにか熱かっただろう――。

「トリニティ・サイト」に立つこの時まで、私は、地上で最初に核の被害を受けたのは、私たち人間だと思っていた。そうではなかった。被爆者の先輩が、ここにいた。泣くことも叫ぶこともできないで、ここにいた。

 私の目に涙があふれた。

──林京子『トリニティからトリニティへ』

平野:被害者としてその場に立っているのですが、人類の犯した罪に非常に強く打たれて、被害者という立場を超えて、人類の加害性までをも痛感する。そのような瞬間を通じて、恐ろしい兵器が生まれてしまった事実を非常に重く受け止める場面です。

これがどういう心理なのかというのは、ちょっと言葉を超越していて、うまく説明できないのですが、実際に自分も被爆して、周りの人が死んで、だけどその場に立ったときに、一方的な憎しみとか恨みとかではなくて、何とも言えない巨大なやるせなさみたいなものに打たれてるんですよね。

そういう視点というのは、映画『オッペンハイマー』にも出てこないですし、この映画に対する最も痛烈な批評にもなりうると思います。

僕が書いた「『オッペンハイマー』論―オッペンハイマーとクリストファー・ノーランの倫理」は、英語に翻訳して、海外に向けても発表しました。それは、林さんの作品をアメリカの人たちに読んでもらいたいというのが動機のひとつでした。興味のある方は、ぜひ林さんの作品も合わせて読んでいただきたいと思います。

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