映画『ある男』公開記念イベントとして、NHK文化センターにてオンライン講座「平野啓一郎の人間論 『ある男』から考える」が開催されました。
愛し合い、幸せな関係を築いていたはずの夫「大祐」が事故によって亡くなった後、名前もわからない全く別人だったことが発覚する。── そんな奇妙なら出来事から『ある男』は始まります。
人間にとって過去とは何なのか。「私」とは何か。平野啓一郎が一貫して追求してきた文学的主題の結晶とも言える作品です。
この記事では、平野啓一郎が作品に込めた思いを語った講演録をダイジェストでお届けします。
存在していないかのように生きている人たちを、言葉を使って存在させる
『ある男』では、凶悪犯罪を犯した男の子供として生まれた人物が、非常に苦労しながら大人になっていく中で、「こんな家に生まれなければよかったのに」「こんな自分じゃなかったらどんなに生きやすいだろうか」といった切実な思いを、戸籍を交換することで叶えようとする人生が、物語の基調になってます。
そうした設定を考えた背景には、かねてから関心を寄せていた、犯罪加害者のご家族の存在があります。被害者のご家族は、犯罪被害者の会などもあるように、あえて顔と名前を出して社会的に活動されている方もいらっしゃいます。一方で、犯罪加害者のご家族、特に凶悪犯罪の加害者のご家族は、基本的にひっそりと社会の中で生きている。なるだけ目立ちたくない、人との関係も知られたくないと、非常に静かに生きていらっしゃいます。『決壊』という小説を書いた時に、加害者のご家族のお話を伺いたいと思い、弁護士さんなどにもお願いしましたが、なかなかたどり着けませんでした。
犯罪加害者のご家族は、社会の中でほとんど不可視化されてしまって、あたかも存在してないかのように存在しています。本当は存在しているのに存在していないかのように社会の中にいる人たちを、言葉を使って存在させるということも、文学の非常に重要なテーマなのではないかと考え、過去を変えた人たちと、犯罪加害者の家族という設定が結びついていきました。
当事者ではない差別問題をどのように描くのか
もう一つ、僕が関心があったのが、差別の問題です。日本にもいろいろな差別があります。被差別部落や、在日韓国・朝鮮人に対する差別、アジア系の外国人に対する差別、性差別、性的マイノリティに対する差別など。中でも僕は、在日の人たちに対する差別に関心を寄せていました。
といいますのも、僕の育った環境では、在日の人もクラスに何人かいて、友達でもありました。朝鮮人学校も地元にあり、僕が少年だった80年代ぐらいは、在日差別に対して社会が非常にセンシティブでした。「こういうことを言ってはいけない」など、差別的な言葉に対するタブーがかなり強くあって、僕もそういうものだと思って育ってきました。
しかし、インターネットが出現した後から、もうとっくに忘れられていたようなひどい差別用語が寄せ集められていきました。それらの言葉は、最初はネットの底の方に沈殿していました。しかし、ネットの世界が動的になっていったWeb2.0以降、差別の言葉は、撹拌されてネット全体に行き渡り、フィジカルな世界にまであふれていって、果ては、恐ろしい暴力的な言葉を喚き散らす排外主義の街頭デモまで目にするようになりました。
僕自身は、自分が在日の人たちと築いていた関係とは全く違う、露骨に差別的なことが起きていることにまずショックを受けました。
他方、僕の本は、『日蝕』という小説が出て以来、ほぼ全ての本が韓国で翻訳され、出版されています。その関係でソウルに行って、出版社の人、韓国の読者の人と親密に接する機会が増え、非常に親しい友人もできました。
僕が韓国に行き始めた2000年代の前半は、小泉首相の靖国神社の参拝など、政治的に日韓関係が緊張する時期でもありましたので、僕は日韓の問題を本を読んだり、韓国の人たちとの交流を通じながら、自分なりに両国の関係を勉強し直していました。
そうした体験を通して、在日差別の問題を日本の差別の問題として、文学者として書かなければいけないと思うようになりました。ですが、最初はアプローチに悩みました。
といいますのも、在日の作家は日本の文学史にも存在していて、在日2世、3世の人たちが書いてきた文学には、非常に重たい歴史があります。いわゆる在日韓国人・朝鮮人ではない自分が、どうやってこの問題にアプローチしたらいいのか。当事者ではない自分が、どういうふうにその問題を書けるのか、自信がありませんでした。
ショパンを経由して見つけたアプローチ方法
それで少し遠回りをしながら考えていったところがあります。最初の大きな遠回りが、『葬送』という小説でした。この作品は、ショパンという音楽家を主人公に書いています。ショパンは、ポーランドの出身でしたが、三国分割によってポーランドという国が消滅したため、亡命者のような形でパリで生活をすることになりました。
『葬送』は、ショパンの伝記にかなり忠実に書いた小説だったので、外国によって国を奪われ、祖国がなくなってしまった人間の、故郷への思いがどんなものか、理解しなければならず、その事をすごく考えさせられました。
韓国の植民地化の問題、併合の問題、在日の問題を、日本人の立場で考えようとすると、当事者性の問題に引っかかってなかなかうまくアプローチできなかったのですが、全然違う国の、ショパンという人物を通じて考えると、外国によって自分の国が乗っ取られてしまうということがどんなにつらいことなのかを、その身になって考えることができると感じられました。
ショパンを経由することによって初めて、韓国の人たちが日本に併合されるときの経験にアプローチできるような気がしたんですね。
また、『ドーン』という小説では、2030年代のアメリカを舞台に、黒人差別の問題と中絶の是非を巡る問題が、アメリカの政治を分断する要因になっていることに着目しながら書きました。
このように、ポーランドの問題やアメリカの問題など、自分が当事者でない問題について書き続ける中で、日本の作家として、日本の差別の問題を書かなければならないタイミングがきているのだと強く思うようになっていきました。
ところが、相変わらず被差別の当事者ではない自分が、どういうふうにアプローチしたらいいのかについては、非常に迷いがありました。たとえば李恢成さんの本など、読めば読むほど、ますます「これは自分が書けるテーマではないのではないか」と悩んでいました。
そんな中、東日本大震災以降の排外主義的なデモなどの映像を見ながら、子供の頃の在日の友達は今どうしているだろうと考えていました。小中高校時代の友達とはほとんど連絡を取っていませんでしたが、Facebookが登場したおかげで、改めてお互いに発見し合って、なんとなく繋っていながら生活を垣間見る機会が増えていました。
これだけ差別的なことが言われる中で、僕の親しかった在日の友達は一体どういうふうに生きていて、その子供たちは学校などでどんなふうに過ごしているんだろうか。そんなふうに、心配するようになっていました。
そのときに、差別の問題を自分が差別されている立場で書こうとするとうまく書けなかったけれど、友達を心配するという立場からのアプローチであれば、真情と共に主人公のことを考えながら一つの物語を書けるのではないかと思ったんですね。それで初めて、小説で在日差別を書く際の、自分なりのアプローチが見えてきたんです。
『ある男』では、城戸という在日3世の男を主人公にしています。しかし、いきなり彼の内面に自分自身が飛び込んでいって、僕が彼になりきって書くのではなく、序章で僕とおぼしき作家が登場して、城戸と仲のいい友達になります。そして、作家がその友人について書くという設定で物語を始めることにしました。そうすると、なかなか超えられなかった壁を一つ越えて、物語を書き始めることができました。
これは小説を書くということにとどまらず、自分が当事者ではないことを考えるときにも使えるアプローチなのではないかと思います。「差別をされてる人の気持ちを想像しましょう」ということももちろん大事ですが、もし身近な友達に差別をされている人がいたら、その友達を心配するというのも、真剣になりうるアプローチの一つなんじゃないかなというふうに思います。
小説と映画。それぞれが作る世界を味わってもらいたい
少し映画の話に触れますと、『ある男』の映画化のお話はいくつかいただいていました。
その中で、松竹芸能の担当者と石川監督が、この作品が含んでる、差別の問題や深いレイヤーの部分まで描きたいと企画書の中で力説してくださいました。石川監督とお話しして、作品を深く理解してくださっていることがよくわかりましたので、ぜひにとお願いして今回の映画化に至りました。
試写会には、2回参加したのですが、1回目は原作とどこが同じでどこが違うのかに気を取られて、映画を映画として見きれてなかったようなところもありました。2回目には、映画自体に集中して、監督がどのような映画的なロジックで場面を繋いでいったのかが見えてきました。
特に前半、非常に感心しました。ある男Xと里枝が幸せな結婚生活を送っている場面が、原作以上に長い時間をかけて描かれています。夫婦の幸福な時代が、豊かに描かれていて、その幸せとの対比で、夫が本当は自分の知らない人だったという悲劇が際立っていました。
また、小見浦という戸籍交換のブローカーを柄本さんが演じてくださっていますが、原作を凌駕するぐらいの異様な存在感を持つ人物として登場しているんですね。本筋の主役級の場面ではないのですが、大きな見どころの一つじゃないかなと思っています。
俳優の皆さんの表情が非常に良かったですし、カメラも美術も音楽も非常に素晴らしかった。石川監督によると、コロナの混乱がある意味幸いして、いろいろな人のスケジュールがぽっかり空く絶妙なタイミングが訪れて、キャスティングも、撮影も、音楽も素晴らしい方が集まったと言われていました。撮影にご苦労されることも多い時期ではありましたが、そうした幸いがあったことがよかったなと感じとれる映画になっています。
文学と映画では、表現の違いがあります。内面的な葛藤や思想的な思索は、映画は文学ほど具体的に掘り下げて描いていくことはできません。例えばトーマス・マンの『ベニスに死す』は、ルキノ・ヴィスコンティが見事に映像化していて、映画を見るとやっぱり映画もいいなと思う一方で、久しぶりに原作を読むと、芸術家であることと、一市民社会に生きる人間であることのバランスの崩壊に、トーマス・マンが冒頭からかなりこだわって書いているあたりなどは、やはり文学ならではの魅力を感じます。でも、やっぱり映画でしか観ることができなかった映像表現もあって、タッジオという美しい少年は、原作を読んで思い描いていた以上に美しかったんですよね。
そういう意味では、映画化されるということは、ある一つの作品が、ある意味二倍になるというか。もう一つ別の楽しみ方が増えるということなのかなと思っています。
『ある男』も原作を読みつつ、映画も楽しみつつということで、お時間を見つけて、映画館に足を運んでもらえたら嬉しいです。
(文:栗原京子)