鏡と自画像

 「……従って、凶悪事件を起こした犯人に注目し、その家庭環境、職歴、友人関係、経済状態などの分析を通じて、どう・・すれば・・・止められたのか・・・・・・・を議論するよりも、実際には犯行に及ぶことがなかった人たちに、なぜ・・踏み・・止まる・・・ことが・・・出来・・たのか・・・を聞き取り調査する方が、犯罪抑止の観点からは有意義ではないかと、私たちは考えました。繰り返しますが、そのような調査は、本書以前には皆無でした。」――『起きなかった事件の証言』「はじめに」より



 辛くなると、痛み止めを飲むように「計画」のことを考えた。するとその間だけは、少し心が楽になった。
 以前なら、自分一人で方をつけることを考えたが、一度試みて失敗してからは、その苦しみの記憶を、半ば無意識に忌避するようになった。死よりも死の苦しみを恐れる人が多いのは、尤もだと思う。
 死刑・・になりたい・・・・・という願望は、最初は、間違えて届いた手紙のような感じがした。まったく身に覚えがなかったが、しばらくすると、そうでもない気がしてきた。一種の発想の転換だった。そのチャンスは、成人になってさえいれば、学歴にも年齢にも関係なく、実は、誰にでも開かれている。今の時代に、そんな平等もないだろう。
 それから、漠然と国家という存在のことを考えるようになった。それが自分を殺すというのは、どういうことだろうか。
 倫理の授業で『リヴァイアサン』という昔の本の表紙を見たことがある。山の向こうから、剣と杖を持った王様みたいなのが、ぬっと姿を現しているのだが、よく見るとその体は、無数の人間によって作られているのだった。死刑というのは、多分、その体の一部の気持ちの悪い部分を毟り取って、指で潰して捨てるようなことなのだろう。
 国家が、それで何か、いいことでもしたような気になっている様を想像すると、何とも言えないおかしさに駆られて、しばらくは、思い出し笑いの発作に苦労した。それから、堪えた分だけ気持ちが荒んだ。
 自分が絞首刑に処される様子を、出来るだけグロテスクに想像した。誰にとっても、虫唾が走るほど不快であってほしかった。
 もちろん、最初はただ、そんな妄想を、人知れず弄んでいただけだった。しかし、観念というのは、冗談の通じない人間に似ていて、いつの間にか、こちらの本気を信じ込んでいるのだった。そうして最初は、中身が空っぽの手紙のようだった願望は、しきりに具体化されたがり、「計画」を促すようになった。

 それにしても、死刑になるためには、どうすればいいのか?
 新宿区役所に行って、受付で相談することを考えた。あそこは、立地もさることながら、中も本当にカオスで、色んな人が色んな悩みを打ち明けに来ている。
 「――ご用件は?」
 「死刑になりたいんですが、……」
 「死刑ですと、どなたか三名、殺していただかないと申請を受けつけられません。」
 「三名ですか?」
 「三名以上・・です、失礼しました。担当者にもよりますが、二名だと申請が通らないことが多いですので、三名以上が確実です。」
 「そうですか。……誰を殺すべきでしょうか? それによって、人数に違いがありますか?」
 「誰でもいいです。死刑の場合、人数が重要ですので。申請の受付は、そのあとになります。」
 想像の中の新宿区役所職員は、てきぱきとそう答えた。女性で、とても仕事が出来る感じだったので、中田さんという名前にしておいた。
 見ず知らずの人を殺して、「誰でもよかった」などというのは理不尽だと思っていたが、死刑という目標があるなら、突飛な考えでもないのだった。とにかく「誰でもいい」から三人以上殺さないといけない。
 「計画」について、具体的に考えるようになって、気がつけば、日々の生きるよすがになっていた。あと何十年か、このお陰で生きていけるのではないか、と思えるほどに。しかし、それも難しいだろう。どんな事件が可能かを考えると、自尊心が高められ、優越感を覚える。そういうことは、所詮はいつまでも胸に仕舞っておくことはできまい。表現意欲に駆られてしまうからだ。
 一方で、人を殺す想像には痛みがあった。注意深く考えてみたが、人を殺したいと自分から思ったことは、今まで一度もなかった。殺しかけたことはあるが、それは意図しないことで、はっきりと不快だった。しかし、その痛みは、どちらかというと、自分の側にあり、殺される人間の痛みを想像しているわけではなかった。
 「計画」は、その痛みが鋭くなければ、何の癒やしにもならず、また恐さもあったが、実行まで維持されるためには、耐えられるものであるべきだった。いずれにせよ、死刑制度を利用するためには、法律と司法の規定に従うより他はないのだから。
 少年時代から、出来るだけ、この世界をぼんやりと、五感に強く響かないように感じ取る術を身につけてきた。さもなくば、一瞬たりとも生きてはいられなかった。しかしそのせいで、生きるということは、死とそれほど変わらないような気もしてきた。