手先が器用
振り返ってみるにつけ、母は不器用な人だったと思う。決して悪い人ではなかったが、人を褒めるということがうまくできず、子供の頃は、冷たいと感じることもあった。テストで良い点を取っても、かけっこで一番になっても、その話を聞いた母の反応は、そっけないものだった。父とうまくいかなかった理由も、一つにはそれだったと思う。
母のそういうところを冷静に見ていたのは、祖母だった。母は多分、子供の頃からそんな感じだったのだろう。
祖母は、わたしにやさしかった。同居していたので、母に褒められ足りない分は、いつも祖母が褒めてくれた。
祖母は裕福で、おっとりとした品の良い人だった。
わたしが小学二年くらいの頃だった。ある日、外出前に着替えをしていた祖母は、
「ともちゃん、ちょっとこっちで、おばあちゃんのお手伝いしてくれる?」
とわたしを呼んだ。居間には母もいた。
「おばあちゃんね、今日は真珠のネックレスをしていくんだけど、首のうしろでこれを留めてくれなあい? ともちゃんは、手先が器用だから。」
真珠というものを、わたしはその時、初めて目にした。きれいだった。ほのかに虹色を帯びた白銀の玉の中に、ぼんやりと、わたしの姿も映っていた。
「おばあちゃんの宝物なのよ。できる、ともちゃん? この金具をこうやって開いて、引っかけるのよ。」
「うん! やってみる。」
祖母は椅子に腰掛けると、わたしに背中を向けてじっとしていた。少し手こずったが、わたしはどうにか留め具をはめることができた。
「ああ、よかった。ありがとう。ともちゃんは、やっぱり手先が器用ね。」
感謝されて、わたしはうれしかった。小さな時には、大人が大切にしているものには、大抵、触らせてもらえないものだが、祖母が自分の「宝物」を、その短い時間、わたしに委ねてくれたことがうれしかった。それに、祖母が自分のことを「手先が器用」だと思っていたことも。わたしはその期待に応えられたのだった。