『マチネの終わりに』『ある男』に続く、平野啓一郎 感動の最新長篇!
「心配だっただけでなく、母は本当は、僕を恥じていたのではなかったか?」ロスジェネ世代に生まれ、シングルマザーとして生きてきた母が、生涯隠し続けた事実とは──
急逝した母を、AI/VR技術で再生させた青年が経験する魂の遍歴。
●四半世紀後の日本を舞台に、愛と幸福の真実を問いかける、分人主義の最先端。
●ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。
●読書の醍醐味を味合わせてくれる本格小説。
映画『本心』2024年11月8日(金)
全国公開!
池松 壮亮
三吉 彩花 水上 恒司 仲野 太賀 /
田中 泯 綾野 剛 / 妻夫木 聡
田中 裕子
監督・脚本:石井 裕也
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024 映画『本心』製作委員会
舞台は、「自由死」が合法化された近未来の日本。最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子は、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする。
母の友人だった女性、かつて交際関係のあった老作家…。それらの人たちから語られる、まったく知らなかった母のもう一つの顔。
さらには、母が自分に隠していた衝撃の事実を知る── 。
『本心』の執筆背景・テーマについて、
平野啓一郎自ら解説した動画を公開中!
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たった一行の文章の中でも、人間は変化しながら生きている。
(プロローグ) -
一体、愛する人の記憶は、何のために、その死後も残り続けるのだろう?
(11章) -
「複雑だったら、現実的な感じがするの?」
(3章) -
心にせよ、意識しない、痛くない場所が傷ついている、ということはあるのだろう。本当に恐いのは、きっと、そっちの方だった。
(11章) -
「僕は、あなたのお母さんとの関係を通じて、小説家として、自分は優しくなるべきだと、本心から思ったんです」
(13章) -
母は一体、僕に何を隠していたのだろう?──しかし、そうした問い以上に、僕を不気味に見舞ったのは、母は一体、誰だったのだろうという、これまで考えたこともなかった疑問だった。そして、結局のところ、僕はこう問わざるを得なかった。僕は一体、誰なのだろう、と。……
(5章) -
「人間は、一人では生きていけない。だけど、死は、自分一人で引き受けるしかないと思われている。僕は違うと思います。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かち合うべきです。──そうして、自分が死ぬ時には、誰かに手を握ってもらい、やはり死を分かち合ってもらう。さもなくば、死はあまりに恐怖です。」
(13章) -
「現在を生きながら、同時に過去を生きることは、どうしてこれほど甘美なのだろうか。」
(14章) -
わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、母は僕の中に存在し続けるだろう。
(14章) - More ▼
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1VF(ヴァーチャル・フィギュア)
「興醒めかもしれませんが、どれほど強調しても、お客様は途中から、必ずVFに〝心〟を感じ始めます。もちろん、それがVFの理想ですが、その誤解に基づいたクレームが少なからずありますので、最初に確認させていただいてます。」
AI(人工知能)、AR(添加現実)の技術を組み合わせながら、仮想空間上に外見だけでなく、会話もできるように再現された人間、その技術。
主人公・朔也は母の死後、生前の母を模したVF<母>の製作を試みる。VFの製作のためには、写真と動画、遺伝子情報、生活環境、各種ライフログ、友人や知人の情報などを資料として提供する。精度は、提供される資料次第。VFは機械学習のため、頻繁に会話を交わすことで、少しずつ違和感が修正されていく。
2リアル・アバター
「簡単に言えば、この体を丸ごとお貸しする仕事です。僕が装着するカメラ付きゴーグルの映像を、若松さんには、このヘッドセットで見ていただきます。ご自分の体のように、僕の目を通じて見て、僕の耳で聞いて、僕の足で歩いていただきます。」
自身のカメラ付きゴーグルと依頼者のヘッドセットを繋ぎ、依頼者の体として擬似体験をする職業。基本的には、遠隔で操作する依頼者の指示通りに、リアル・アバターが動く。リアル・アバターの体と一体化して活動したい、現地を体験したいという依頼者も多い。外国からの依頼者もいる。主人公・朔也は、個人事業主として、リアル・アバター登録会社に契約している。
3自由死
「お母さん、富田先生と相談して、〝自由死〟の認可を貰って来たの。」
本作の舞台は、個人が自分の「死」の時期を選ぶことのできる〝自由死〟が合法化された2040年代の日本。主人公・朔也は、生前の母に自由死の意思を打ち解けられたとき、それを「欺瞞的な言葉」であり、「寿命による〝自然死〟に対して、言わば、無条件の安楽死であり、合法的な自死に他ならない」と思っていたが…。
※ 新聞連載版では「安楽死」という言葉を用いていたが、単行本版では「自由死」として概念を書き換えている。
4死の一瞬前
「〝死の一瞬前〟に、この世で最後に何を見て、どんな気分でいたいのか。──母は、その時には、僕に側にいてほしいって言ったんです。僕と一緒にいる時の自分のまま死を迎えたい、他の人といる時の自分では死にたくないって。」
〝死の一瞬前〟という言葉は、「自分は、死ぬ間際、どの分人で死ぬのだろうか」という作者の想像、問いから生まれた。人間は一人では生きていけないと度々表現される「生」の一方、「死」だけは、一人で引き受けないといけないと強く考えられている。だが、本当は、死もまた誰かと分かち合いながらでないと、到底受け容れられないような恐怖と孤独を伴うものなのではないか。人間が自身の死ぬ時期を決める意味について、本作では思考されている。
5分人主義
「こんな風に、お母様の過去が帯状に示されていますので、ご興味のある年代を選んでいただければ、その断面が表示されて、その時の人格の構成が見られるようになっています。金太郎飴みたいなものですが、ただし、断面がすべて違う金太郎飴です。」
私たちは、会っている人によって、立場によって、環境によって、自分の人格が変わる。時には、敢えて変えている。この一つ一つの人格を「分人」と呼び、本当の自分はひとつではなく、いくつもの分人の集合体が個人であり、分人の構成比率が重要だと考える分人主義。
分人主義は『ドーン』以降、作者・平野啓一郎にとっての基本的な人間観として、数々の作品に表現されてきた。本作でも、分人主義の考え方があらゆる箇所で書かれており、まさに分人主義の到達点と言えるだろう。
もっと分人主義を知るには…
私とは何か 「個人」から「分人」へ
小説と格闘する中で生まれた、まったく新しい人間観。嫌いな自分を肯定するには?自分らしさはどう生まれるのか?他者との距離をいかに取るか?ー恋愛・職場・家族など人間関係に悩むすべての人へ贈る希望の書。
Amazonで購入6「愛」と「本心」
愛する人の本当の心を、あなたは知っていますか?
前々作『マチネの終わりに』の「結婚した相手は、人生最愛の人ですか?」、前作『ある男』の「愛したはずの夫は、まったくの別人であった。」に続く『本心』の帯コピーは、「愛する人の本当の心を、あなたは知っていますか?」。
相手の「本心」を知らなければ、愛とは呼べないのか?
相手の「本心」を知っても、愛し続けられるのか?
愛するとはどういうことなのか?
そもそも「本心」とは何なのか?
本編を読むと、愛について描いてきた作者・平野啓一郎が、さまざまに散りばめた問いかけを体感することができるだろう。
7最愛の人の他者性
「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます。」
主人公・朔也にとって、母が生前望んだ「自由死」はおよそ自分が受け容れがたいことだった。その「自由死」を望む母の気持ちを朔也が理解し、認めることのできないまま、事故死した母。──
愛する人が他者であるということがどういうことなのか。およそ自分が受け容れがたい何かを愛する人が考え、実行しようとしている時に、それを理解し受け容れることが愛なのか。それとも。……
他者であるがゆえに、根本的には「わからない」し、「わかる」と言ってはいけない。それが他者性を尊重することではありながら、愛で結びついた相手の場合、それでもどのようにして相手をわかろうとし、また、相手の決断を尊重しつつ、関与するか、ということが問題になる。朔也が、母の死後、母をわかろうとする行為こそ 「最愛の人の他者性」と向き合う行為であり、朔也以外の登場人物もまた然り。本作のテーマであり、最終章である第十四章のタイトル。
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常に冷静に全てを観察している賢い主人公の感情が、優しくそして大きく揺れるたび、涙せずにはいられない。
吉本ばなな
私たちの存在価値と欲望は、これから何処へ向かうのか。コロナ後の世界、並外れた傑作。
池松壮亮
最後の一節を読み、私は誰として人生を閉じたいかと考えた。それは自分や社会に対して疲弊する自分ではなく、たった今、この小説を手渡した最愛の人の隣にいる自分だった。(20代 はるたろうさん)
20年後の近未来の設定に感心しつつ読み進めるといきなりわが故郷の景色が浮かび上がる。この依頼者は20年後の自分だ。なんということだ!(50代 Koichi Kawaiさん)
「心」とある人が言ったとき、それは感情なのか、思考なのか、行為なのか、「本当の」といったとき、その人にとっての本当とは何なのか。(50代 ドリーさん)
非常に描写が簡潔で隙がなく、とても密度が高く感じられ、統一されたテーマがあるのは当然としても、まるで短編小説の連作のようにひとつひとつのシーンが鮮明で感服致しました。(60代 友渕満広さん)
最後の文を読み終えて、私は深く入り込んだ小説の世界から現実に戻るため肩を使ってひとつ大きな呼吸をし、次いで不思議な感覚におそわれたのでした。それは、私という存在が抱かれている、自分がまるごと肯定されている、あるいは自分の生きてきた完全とは言えない過去を許されている、という一種温かな感覚です。私はその余韻に浸りながら確信しました。この本を読んだ後の「私」は読む前の「私」とは少しだけ違っている、と。(メグさん)
自分のささやかな秘密をつい告白したくなる、『本心』とはとても強い力を持つ小説だなとつくづく思います。(megumi さん)
ー生の先に必ず訪れる死の瞬間まで、どう生きたいか、誰と生きたいか、生きようとする限り人は選び続けているのかもしれません。(シミズ さん)
愛する人にもう会えない、その人との分人を生きることもできなくなる辛い状況で、その人と過ごした記憶は、生き残っている人が生き続ける大切な手がかりなのだと思った。それでもその記憶だけでは生きていく事は難しくて、今を生きている人とも関わって生きていかなければならない。朔也もお母さんとの記憶だけではなく、三好さんやイフィーたちと過ごした時間がそうだったように感じた。「現在」と「過去」を両方生きることは難しいですね。(20代 あすさん)
連載中はどうなる事かとドキドキしつつ、終わりが近づくにつれ、ああ終わってしまう…と楽しく読みました。今回連載と少し違っているというのも楽しみですし本の発売も待ち遠しいです。また終わりを知って頭から読むと少しずつ印象が変わってきたり気がつかなかった描写も発見したりと楽しんで読んでいます。 本心というのは不変なものを想像しがちでしたが、その時一瞬の思いみたいな事で自分でもそれが本心かどうか時間が経つと変わってきたりしてあやふやなものですね。そんな事を追求するのをやめて未来へ踏み出していく朔也君で本当に良かったです。(50代 井上さん)
たくさんの人に読んでほしいけれど、果たして、登場人物たちの葛藤や悲しみ、苦しみを自分ごとのように感じられる人間が今の日本にどれくらいいるんだろう、とちょっと厭世的に思ってしまってもいます。読んだら誰かと語りたくなる。でも、ほんとうに気持ちをシェアできるんだろうか、と疑ってもしまう。そんな重層的な魅力があります。(50代 きらりんさん)
発売日、早速買ってきました。数ページ読んで平野ワールド全開の予感。でも、今までより文章がすっきりしていて、それでいて何か考えさせられてしまう…
いつも小説は面白いと先へ先へと読んでしまうのですが、『本心』はその文章や意味や世界をじっくり考えながら、味わいながら読むことにしました。(60代 Yokoさん)
読了して2日、まだまだ圧倒されたままでいます。
最後に救いがあって良かった、いい作品を読めて本当に良かった、これが文学なのだという力というか他の分野ではもらえないエネルギーを感じました!(60代 のりこんさん)
今が古い価値観から解放されるチャンスの時なのだと改めて思いました。世界的なピンチの時だから。まずは意識の改革をしていかないと何も良くならない。平野さんの小説は自分の心の奥底を見つめるきっかけになります。(40代 夏江さん)
主人公の成長物語という古典的なフォーマットを用いつつ、それだけに留まらない多くのレイヤーによって構成されているのは、これまでの平野作品にも通じるところだが、『マチネの終わりに』の現実逃避的なベクトルとは異なり、『本心』では、近未来社会を扱いながらも、読者に「今」の現実を思い起こさせる仕掛けがあちこちに散りばめられている。主人公の朔也と同じく、読者もまた、物語が始まる前と終わった後では違った人間になっていることに(プロローグにもあるように、それは本来的に自明のことなのだが)気付かされるだろう。その意味で、『本心』はインタラクティヴな、そしてアップデートされた成長物語なのである。(50代 ナカガワタケフミさん)