富士山
二〇二〇年六月初旬のことだった。
前月末にようやく最初の緊急事態宣言が明け、井上加奈と津山健二は、東京駅の八重洲口で二ヶ月半ぶりに再会した。浜名湖に旅行に出ようとしているのだった。
午前九時の待ち合わせで、時間通りに行くと、もう津山は待っていた。
晴天で少し蒸し暑く、津山は半袖のチェックのシャツにジーパンという格好だった。加奈は、ゆったりとした生成り色のシャツにグレーのパンツを穿いている。
一泊だけの予定で、二人とも旅行カバンは小さかった。
休暇を取っての平日の旅行だったので、東京駅は閑散としていた。勿論、コロナのせいでもあった。
画面越しではない久しぶりの対面で、お互いの言葉が何となく露わな感じがした。
チケットは津山が予約していたが、ひかり号はすべてE席が埋まっていたので、二十八分余計に時間が掛かるこだま号を予約したと言った。
加奈には最初、その意味がわからなかったが、下りの東海道新幹線の座席は、大体、進行方向に向かって、右手窓側のE席から埋まるのだという。富士山が見えるからだった。
彼女は、その説明を聞いて、ぽかんとなった。仕事で関西出張も少なからずあったが、彼女にとって、東海道新幹線は、単なる移動の手段でしかなく、大抵は眩しく、日焼けをしたくないので、カーテンを下ろしてしまう。外の景色を熱心に見たのも、冬に、関ヶ原の辺りで酷く雪が積もっていた時くらいだった。
そんなことに、もうじき四十歳になろうかという自分が、今まで一度も気がつかなかったことに、まず呆れた。そして、自分の忙し過ぎる生活を思った。出世して給料が上がり、生活にはゆとりがあるが、ずっと結婚したいと思っているのに未婚で、何となく、いつも疲れている。それが、彼女がサマライズする自身の生活の現状だった。
それにしても、わざわざ富士山のために、遅いこだまに乗るべきなのだろうか。彼女は、富士山に何の関心もなく、車窓から一瞬見えたといって喜ぶのも幼稚な感じがしたが、それよりも、津山のそうした拘り方に、今まで気がつかなかった、彼の中の面倒なところを垣間見た気がした。
とは言え、切符を手配してくれた彼への気兼ねもあり、その場では、ただ礼を言っただけだった。二人で一緒に時間を過ごすための旅行であり、急ぐわけでもない。精算は、ホテル代を含めて、あとで改めてするつもりだった。
加奈は、この時、津山のことを少し変わっていると感じたが、あれから二年が経って、もう彼と会うこともない彼女は、〝普通の人〟の感覚により近かったのは、津山の方なのだと思っている。現に、座席はE席から埋まっていくのであり、みんな富士山を見たいのだった。
しかし今、世間で津山のことを〝普通の人〟と思う人は、彼女以外、まずいないだろう。
彼はまったく、例外的な人物として知られていた。
丸ノ内線で起きた無差別殺傷事件から、一年半が過ぎていた。
報道で、津山の名前を目にした時に、加奈は、心臓を底から直に撲たれたような衝撃を覚えた。
死者三名、重軽傷者八名の惨事で、彼女の会社からもそう遠くはない淡路町駅の近くだった。
帰宅時間帯で、彼女自身が、その車両に乗り合わせていたとしても、まったくおかしくなかった。そのせいで、今でも丸ノ内線に乗ると、時々、津山がいるのではないかと感じることがあった。
◇
浜松旅行に至るまで、二人の交際期間は半年弱だったが、丁度、新型コロナの感染拡大の時期に差し掛かっていたため、会った回数はあまり多くなかった。
〝婚活〟専用のマッチング・アプリで、二人が出会ったのは、武漢でコロナの人への感染が発覚し、まだ日本で流行し始める前のことだった。
【津山健二――年収三百万円、ラジオの放送作家、四十一歳、東京23区内在住、趣味は映画鑑賞、ジョギング、……】
津山のことが気になったのは、年齢が二つ上なだけで、顔写真に拒絶反応が起こらず、「放送作家」という肩書きに、何となく好奇心をそそられたからだった。収入は加奈の三分の一程度だったが、結婚して財布を一つにするのであるから、まったく構わなかった。問題は、相手の方がそれを気にするかどうかである。ほとんど無趣味と言っているのと変わらない、あまり活動的でなさそうなところも、自分に似ていて良かった。
加奈は、結婚相手探しにすっかり疲れていた。
どうしても結婚して子供が欲しいという彼女の願望は、古い考えだろうと何だろうと切実であり、人には「良い相手がいれば」と曖昧に話していたが、既に五年前から苦労して三十個の卵子を採取し、凍結保存も行っていた。
結婚への焦燥は、納期に間に合わないプロジェクトに携わっているようで、日常の隙間隙間で彼女の気分を落ち込ませた。今ではパートナー探しも、ほとんどこの憂鬱を終わらせたいがためのようだった。